2021年6月2日水曜日

●西鶴ざんまい 番外篇1 浅沼璞


西鶴ざんまい 番外篇1
 
浅沼璞
 

このへんで番外篇をひとつ。

 
東京新聞の朝刊に「私の東京物語」という連載ものがあります。
 
著名人によるエッセイのシリーズで、十話前後を限りに執筆者が替わります。
 
最近のでは赤坂真理さんが印象に残りました。
 
赤坂さんについては、拙著『西鶴という方法』でその西鶴的な羅列文体について考察したこともあって、懐かしい気分も。
 
やはり描写の腕は確かで、今西鶴だなと再認識させられた次第です。

 
 
その後、長谷川櫂さんが執筆。
 
愚生とほぼ同じ世代ながら、芭蕉臭が強いイメージで、自ずと距離をおいてきました。
 
今回も軽く読み飛ばしていたのですが、三年前皮膚癌になったという件の、生死に言及するあたりで引きこまれました。引用します。
「人は死ねば肉体も精神(魂)も消滅する。ありもしない来世などあてにせず今の時代をしっかり見ておきたい、やるべきことは命あるうちにすべてやる」(5月21日付)
西鶴の現世主義に通じる潔さで、腑に落ちました。
 
しかも「やるべきこと」とは、「蕪村の俳句を老人文学として読み直してみたい」(25日付)というのですから尚更です。

当「西鶴ざんまい」で愚生が庶幾しているのもまた、「西鶴晩年の連句を老人文学として読み直す」ことにほかなりません。

 
とはいえ画家の蕪村が俳諧に本腰を入れたのは五十過ぎ、遅咲きの典型。
 
かたや五十二歳の西鶴は、「人生五十年、それかてワテには十分やのに、ましてや」と次の辞世を詠み、浮世からあの世へ。

浮世の月見過しにけり末二年       『西鶴置土産』(元禄六年・一六九三)

今たどっている自註百韻は逝去前年の作と推定されています。同年刊行の名作『世間胸算用』との関連も気になってくるところですが、たぶんそれは元禄正風体と老人文学との相関関係を抜きには考えられないでしょう。
 
もっと突っこんだら、西鶴逝去の翌年五十一歳で没した芭蕉の、晩年の俳風「かるみ」とも関連してくるでしょうし、そうなれば蕪村の老人文学も視野に入ってくるわけで……、と連句よろしく付筋は多岐にわたるのです。

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