2021年11月12日金曜日

●金曜日の川柳〔兵頭全郎〕西原天気



西原天気

※樋口由紀子さんオヤスミにつき代打。




バックしますご注意くださいって泣くな

兵頭全郎 (ひょうどう・ぜんろう) 1969~

自動音声のほとんどは、おねえさんの声のようなが気がして(私が利用する自転車置き場では毎回、やはりおねえさんが「料金は100円です」とちょっと訛ったイントネーションで宣う)、これはジェンダー的に非対称の世界に私たちが暮らしているこの証左なのだろうが、その話は置いておこう。よく聴くのはゴミ収集車だろうか。警告音とともに、この「バックしますご注意ください」という声が流れる。バックにギアを入れたら(リバース・ギア)自動的に流れる仕組みらしい。

(これ、欲しい人は、アマゾンでも買えるみたい。簡易版だろうから、きっとギアとの連動はない。知らないけど)

で、なんの話かというと、日頃よく耳にする注意喚起の声を、末尾、《泣くな》の3音で受けたこの句。〈なんだか事情がわからないもの〉好きの私には垂涎の一句。どうわからないかを説明する無粋をあえてやるなら、「泣くな」は、まあまあのっぴきならない局面でここぞとばかりに出てくるものであって、よく泣く子どもに言っているならともかく(ゴミ収集車の隣で、子どもの手を引くオトナのセリフ、という現実へのむりくり引っ張り込むような読みも可能だけど、それでは涎は垂れない)、やはり、まあ、例えば、映画なら後半4分の3以降のだいじな場面。「泣くな」のセリフに俳優のキャリアがにじみ出るような重要なくだりです。映画じゃなくて生身の人間が現実世界においてこの3音を口にするときも、そう迂闊ではいけない。いつもより、なるたけ渋く、低音成分を多めに発したいところです(男性が発する前提で言ってる)。

句の中盤に置かれた《って》が肝で、この用法は近頃日常会話で頻繁ではないが耳にするような気がする。単なる引用(例:もうコメがない《って》、おかあさんが言ってる)ではなく、それ以前の流れをひと括りに参照しつつ発話の層を転換する働き。例えば、この、いま書いている記事のここまでをぜんぶ受けて、「って、なにやってるんだ? ガサゴソと台所で、ウチの猫は」みたいな感じ。

この句の《って》は後者の用法と読みたい。なぜって、前者の単なる引用だと、自動音声のおねえさんに「泣くな」と言っていることになり、それはそれでヘンな人だから、句の価値があるという見方もできるけれど、最初のほうで言った〈事情がわからない度〉は低下する。それに、あの声、泣いていないもの(それはそれで、「泣いてないよ」という返しまで込みで読めば、おもしろいかもしれない)。

とすれば、やはり、《って》の直前は、俳句でいう切れが生じている(層の転換)と読むべきで、最初からの14音(じつに句全体の8割近くが世界の一部をそのまま引用。レディメイド)と《泣くな》とは、同一場面ではあっても、別の層にある。おまけに、片っぽうは機械の声だから、それぞれが、ちがう色のちがう抽斗の中って感じ。

これでこの句の全部品について書いた。なんだかんだと書いてみて、やっぱり、〈なんだか事情がわからない〉句はいいなあ、と。

掲句は『What's』vol 1(202年10月28日)より。

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