西原天気
※樋口由紀子さんオヤスミにつき代打。
こばやしくてこばやしくてする花火 榊陽子
寡聞にして「こばやしい」という語・形容詞を知らないので、これは「小林」の形容詞化と解した。
とはいえ、この「こばやしい」がどんな意味か、皆目わからない。語感から、なんだか勢いがあって、落ち着きがない感じはする(早い・速いからの連想だろう)。でも、それだからといって、花火へとつながる道筋は見えない。
きっと、この句は、なにも言っていないし、なにも描いていない。「こばやしい」という語を創造したという以外に、この句が私たちに伝えるものはない。まるっきり、ない。
だからこそ、というか、その点こそが、素晴らしい。
川柳にせよ俳句にせよ、何かを告げよう、何かを描こうとするあまり、その句がまずもってことばであることが忘れ去られることがとても多い。写真に撮るでもなく絵に書くでもなく、それは〈ことば〉なのだから、〈ことば〉が主題であっていい。〈ことば〉の在り方そのものが刷新されるとか揺るがされるとか蹂躙されるとかくすぐられるとか瓦解するとか輝くとか。で、その方法やアプローチはさまざまで、この句のように〈ことば〉にいたずらを仕掛ける、みたいなことでも、ぜんぜんいい(「ぜんぜん」の誤用)。
この句以降、世界中の小林さんに無秩序なお祭りが始まる。もちろんそれは言語的な意味で、なのだけれど。そればかりか、かなりねぎしい根岸から、いかにもことといばしげな言問橋へと、なかむらまさとしくない中村雅俊が駆けつけたりするかもしれない。
掲句は『Picnic』No.5(2022年3月1日/野間幸恵・石田展子編集)より。
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