西原天気
※樋口由紀子さんオヤスミにつき代打。
一晩だけ預かっている大きな足 樋口由紀子
その夜だけは自宅に足があるのは不都合なのだろうか。足を預けた人のことが気になる。いつもはその人の身体の一部であるところの足なのか、身体とは別に足が単独で存在するのか。それも気になるが、預けてしまうのは不便だろうから、後者と解したものの、足だけを単独で持っている・所有するとは、いったいどんな事情なのか。
足と脚は、前者が足首よりも先、後者が太腿の付け根より先という区別はあるが、区別されないことも多い。義脚とは言わず義足と言うものね。この句の場合、「大きい」というのだから、脚とは区別される足。
で、その足。
預かったものの、私なら、ちょっと困惑すると思う。「大きな足」の存在感、強烈な存在感、身体部位という立場を超えて、なにか重大な決定権をもつかのような存在感を、どうしたものか。箱にでも入れて見えなくすると、扱い方として不当のような気がするし、撫でたり突っついたり嗅いだりは不適切のような気がする。卓袱台に置くのは抵抗があるので、椅子か座布団の上にひとまず落ち着いていただくことになると思うが、それでもやはり困惑は消えない。
いや、もう、人ひとり預かるほうがよほどラク。《大きな足》が、私の住む世界の巨大な〈異物〉として、私がふだんなんとなく寄りかかっている秩序を激しく揺さぶる。
《一晩だけ》とはいうが、この一晩はとても長い。
掲句は樋口由紀子句集『めるくまーる』(2018年11月/ふらんす堂)より。
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