2023年3月8日水曜日

西鶴ざんまい #40 浅沼璞


西鶴ざんまい #40
 
浅沼璞
 
 
 御座敷鞠しばし色なき     打越
春の花皆春の風春の雨      前句
 朽木の柳*生死見付くる     付句(裏十四句目)
『西鶴独吟百韻自註絵巻』(1692年頃)

 
【付句】裏ラスト(綴じ目)。柳(春)。生死(しやうじ)で無常。
*朽木(くちき)の柳=謡曲『遊行柳』「昔を残す古塚に、朽木の柳枝さびて」[定本西鶴全集より]

【句意】老朽した柳の若枝を折り、その水分を見、生死を知る。

【付け・転じ】打越・前句については、屋内から屋外への転じ、そして「色なき」から風雨に散る花への付け、という指摘が若之氏よりありました。もっともです。
その観点からすると前句・付句では、桜―柳(類船集)で屋外の植物(うゑもの)をひき継ぎつつ、落花から「朽木の柳」で無常へと転じているようです。

【自註】されば人間の生死もおもへば、風にのがれぬ美花のごとし。目前にすがたをちらす事、人又朽木の青柳、すこしの水の勢(せい)、今にもをれなば息の絶ゆるに同じ。是をおもへば、たのしみは手樽*、何事も胡蝶の夢*とさだめて、呑め/\、下戸も百年*の春にはあふ事なし。
*手樽=左右に把手のついた、長めの酒樽。 *胡蝶の夢=荘子が夢の中で胡蝶となって遊んだ故事。 *百年=諺「胡蝶の夢の百年目」[新編日本古典文学全集より] 

【意訳】さて人間の生き死にを思っても、風を逃れられない美しい花のようなもの。目前にその姿を散らすこと、人もまた老い朽ちた青柳と同様、わずかな水分で生きてはいるけれど、今それが涸れてしまえば息絶えてしまうに違いない。これを思うと、楽しみは手樽の酒、なにごとも「胡蝶の夢」と思い定めて、呑むがよい/\、下戸だからといって(健康を保っても)百年目の春を迎えられるわけではないのだから。

【三工程】
(前句)春の花皆春の風春の雨

 なびく柳も並びをるなり 〔見込〕
  ↓
 なびく柳も無常迅速   〔趣向〕
    ↓
 朽木の柳生死見付くる  〔句作〕

前句の場に柳もなびくとみて〔見込〕、〈どのような風情をうむか〉と問いかけながら、人間の生死(無常観)と思い定め〔趣向〕、「朽木の柳」という題材・表現を選んだ〔句作〕。

 
今回の自註で「たのしみは手樽」と書いてますが、「鶴翁は下戸だった」という証言、追悼句かなんかの前書で見た覚えがありますけど。
 
「言わはるとおり下戸は下戸やで。せやから人さまに呑め/\、言うてんねん。己れは呑めんでもな、人さまの喜ぶ姿を見れば、なんぼか救われるいうもんや」
 
そういえば、知人から貰った酒樽を上戸の友人に振舞おうと封を切ると、なんと餅が詰めてあったというサプライズな話、遺作の『名残の友』にありましたね。

「そや、ワシが下戸と知っとってな、わざと餅を詰めこんだ酒樽、送ってきたんやで。これぞ談林の付け合い、いや付き合いや。呵々」
 

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