2023年3月13日月曜日

●月曜日の一句〔岩田奎〕相子智恵



相子智恵






にはとりの骨煮立たする黄砂かな  岩田 奎

句集『膚』(2022.12 ふらんす堂)所収

鶏ガラで出汁をとっているのだろう。外を見れば黄砂で空がどんよりと黄色っぽい。不思議な取り合わせである。

鶏ガラスープと黄砂は、何となく色が似通っているかな……という感じはなくはないものの、物語や気分の組み立てを季語に託すことはなく、二つのものが(それは世界中のものが、ということでもある)何のかかわりもなく世界にはあるのだ、しかし自分の目の中には偶然、今それがあるのだ、ということが示されているように思う。俳句的にいうなら、季語が利いているか利いていないかを判断する範疇にはない句、というつくりだ。本句集にはこういう取り合わせが多くて面白い。次の句などもそうかもしれない。

芽吹山大瓶置きしあと濡れて

蠅の目のうつくしかりし港かな

立てて来しワイパー二本鏡割

ふだん、句集を読んでいると、感興の速度が速い句集と遅い句集があるな、と感じる。本句集は、感興がたいへん遅く来る句集だ。このような取り合わせはもちろん、

いづれ来る夜明の色に誘蛾灯

の、未来の時間を追いかけてからの、現在の灯の色に戻る視点や、

耳打のさうして洗ひ髪と知る

の、「さうして」のみで描かれる認識の時間(シャンプーの匂いや髪のかすかな濡れなどは一切言わない)など、読者に一緒に思考させる時間が長いのだ。だから、感興はその後にゆっくりとやってくる。

句としては分かるように書かれているのに(というか、かなり上手い句が多い)、内実は分かりやすくならないように書かれている。判断を避けて世界をそのままに提示し、それが詩としても破綻することがない。かといってリアリティの追求とも違う。

だから、詠み通してみても全体から作者が容易に立ち現れてくることがないのは、そういう何重にも重ねられた思考によるものなのだろう。その思考含めての作家性である。玄人の見事な句集という感じであるのに、作者は1999年生まれで、これが第一句集なのだということに驚いた。

1 件のコメント:

  1. 相子さま

    ご高覧、またお取上げいただきありがとうございます。
    感興が遅いとのご指摘、なるほどと思うところがありました。
    適当につくっているから読むほうに手間がいるのかもしれません。
    それを大変よくご鑑賞いただきありがたい限りです。

    岩田奎

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