2023年6月30日金曜日

●金曜日の川柳〔飯田良祐〕樋口由紀子



樋口由紀子






戦争も並んでいるか冷やしアメ

飯田良祐 (いいだ・りょうすけ) 1943~2006

姫路のゆかた祭が4年ぶりに開催された。好天に恵まれ、多くの人でにぎわった。「冷やしアメ」の屋台も出ていたのだろうか。「戦争も並んでいるか」で切って、場面移動しての「冷やしアメ」なのかもしれない。しかし、ここでは切らないで読んでいく。夏の縁日で長い行列が出来ている。甘くて辛みのある冷やしアメの屋台にも、老若男女、いろいろな人が並んでいる。そこに何食わぬ顔で「戦争」も並んでいる。

「戦争」を取り上げるのはとてもむずかしい。「戦争」とまったく別種の「冷やしアメ」を組み合わせる。無関係と思われるこんなところにも戦争は顔を出す。私たちは「戦争」と一緒に並んでいる。だれも気づかないのか、気づかないふりをしているのか。『実朝の首』(川柳カード叢書 2015年)所収。

2023年6月23日金曜日

●金曜日の川柳〔岩井三窓〕樋口由紀子



樋口由紀子






夏みかん夫婦が同じ顔になる

岩井三窓 (いわい・さんそう) 1921~2011

今は品種改良されたが、昔の夏みかんは本当に酸っぱかった。一口、口に入れるだけで、顔面全体も酸っぱくなった。その顔はすぐに想像できる。そして、その顔はなんともいえないくらい滑稽で、愛嬌があった。

夏みかんを食べる前は夫婦はそれぞれ別の顔をしていたのだろう。考えていることとも気になっていることも違っていた。それが夏みかんを口に入れた途端に同じ顔になった。お互いにその顔を見て、二人で笑い合ったのだろう。顔と同時に心が一つになった。『川柳読本』(1981年刊 創元社)所収。

2023年6月16日金曜日

●金曜日の川柳〔丸山進〕樋口由紀子



樋口由紀子






身の置き場なくて鴨居にぶら下がる

丸山進 (まるやま・すすむ) 1943~

「鴨居」とは引戸や襖、障子などを立て込むための開口部の上部に渡した、溝を付けた横木である。民家の座敷や居間に取り付けられている。ぶらさがり健康器と同じ高さぐらいだろうか。しかし、ぶらさがり健康器ように使用するところではない。ぶら下がったら、まずびっくりされ、そして笑われ、必ず叱られる。

座敷や居間でどんな話がされていたのだろうか。作者が直接関係しているのではなさそうである。しかし、話に割り込んでいけない空気感がある。たぶん、意見を求められても、どう答えていいのかわからない。なにもすることのなく、どうすることもできない。やさしい男性の哀愁がコミカルに表現されている。『アルバトロス』(風媒社刊 2005年)所収。

2023年6月14日水曜日

西鶴ざんまい #45 浅沼璞


西鶴ざんまい #45
 
浅沼璞
 
 
 四十暮の身過に玉藻苅ほして  打越
飛込むほたる寝㒵はづかし    前句
 覚えての夜とは契る冠台    付句(二オ五句目)
『西鶴独吟百韻自註絵巻』(1692年頃)
 
【付句】二ノ折、表5句目(通算27句目)。
雑。 契る=恋。 冠台(かむりだい)=就寝時など冠を置いておく台。 

【句意】(公家として)醜さを自覚しての、夜の契りを交わす、その折の冠台。

【付け・転じ】打越・前句=年輩女性の夏の手仕事から夏の恋へ。前句・付句=年輩女性の恋の恥じらいを公卿のものとして見立て替える。

【自註】定家は歌道の徳にして世上に高き名にも似ず、㒵付(かほつき)公家にしては請けとらぬ形といへり。有る時*、御殿のとまり番成る折ふし、火ともしの役せし宮女の艶(やさ)しきに手ざし給へば、「恋をそんな㒵でもか」といへり。時に、「さればこそ夜とはちぎれかづらきの」と即座の名哥*になづみ、此の女、心にしたがひけると也。句作りに、「覚えての」五文字、我すがたの悪きを覚えての心也。「冠台」は寝たる心を付寄せ也。
*有る時=「狂歌咄」のエピソード。 *即座の名哥=〽葛城の神は夜るこそ契りけれすがたによらぬ人はこゝろを(葛城神は醜貌)〔新編日本古典文学全集〕。

【意訳】藤原定家は和歌の道において世上名高き人だが、容貌は公家に似つかわしくなかったという。ある時(定家卿が)殿中にて宿直の役目の折、火を灯す役の優美な女官へ手をさしのばされると、(女官は)「そのような顔で恋を仕掛けなさるのか」と言った。その時(定家卿が)、「さればこそ夜とはちぎれかづらきの」と即座に名歌で返すと、うちとけた女官はその意に従ったのである。句の上五に「覚えての」とあるのは、自分の容貌を自覚しての心持である。下五「冠台」は同衾を示唆する心持の付けである。

【三工程】
(前句)飛込むほたる寝㒵はづかし
 
公家にして請けとらぬ形といへり 〔見込〕
  ↓
覚えての夜とはちぎれかづらきの 〔趣向〕
  ↓
覚えての夜とは契る冠台     〔句作〕

前句で恥じらう人を醜貌の貴族とみなし〔見込〕、どのような説話があるかと問いながら、定家のエピソードを扱い〔趣向〕、共寝する際の「冠台」という題材に焦点を絞った〔句作〕。

【先行研究】
下五の「冠台」が暗示的で、よく利いている。〔新編日本古典文学全集(加藤定彦氏)〕


 
「冠台」――言ってみれば映画のクローズアップみたいなものですね。
 
「なんや、その苦労なんとかいうんは」
 
大写しのことです。たとえば小津安二郎の『東京物語』、旅館の廊下のスリッパ二足に焦点をあわせ、寝付けない老夫婦の疎外感をシンボリックに映像化しています。
 
「新堀? ようわからんけど、その安二郎いう人、俳諧はしよるんかい」

はい、次回の番外編でご紹介します。
 

2023年6月12日月曜日

●月曜日の一句〔岡田由季〕相子智恵



相子智恵






鳰の巣の卵だんだん汚れけり  岡田由季

句集『中くらゐの町』(2023.6 ふらんす堂)所収

沼や湖に浮かべて作るかいつぶりの巣。水生植物の茎を支柱に、葦や蓮、水草などを絡めて漂わないようにしてある。

かいつぶりが巣の中に卵を生んだ当初から、いつ孵るのかと定期的に見にきていたのだろう。生んだばかりの頃は光って美しかった卵も、親鳥が温めたり水草に隠したり、泥や糞などにまみれるうちに、だんだん汚れてきた。

卵が孵るまでの期待感と〈汚れけり〉という現実とのギャップが面白い。あっけらかんとした物言いからは、嬉しい風景がだんだん日常風景に変わってきたさまも伝わる。孵るというクライマックスではなく、その途中の汚れを描いたところに脱力するような俳味がある。そして汚れ切ったところで、卵は孵るのである。

2023年6月9日金曜日

●金曜日の川柳〔早良葉〕樋口由紀子



樋口由紀子






六月の花嫁となるあてもなく

早良葉 (さわら・よう) 1929~

「六月の花嫁」は「ジューンブライド(June Bride)」という言葉から援用されている。ヨーロッパは六月が一年で最も雨が少なく、天気にも恵まれ、多くの人に祝福されるために、六月に結婚式を挙げるとしあわせになれると言われている。

それはヨーロッパの話であり、日本は梅雨時期で結婚式には適さない。そんな六月が今年もやってくる。いつであったとしても私にそんな予定はない。じめじめとした梅雨をいつも通りに一人で過ごしているとかぶせている。「あてもなく」がいい味を出す。かるくひっくり返して、そんな自分を自嘲気味に愉しんでいる。