四十暮の身過に玉藻苅ほして 打越
飛込むほたる寝㒵はづかし 前句
覚えての夜とは契る冠台 付句(二オ五句目)
『西鶴独吟百韻自註絵巻』(1692年頃)
【付句】二ノ折、表5句目(通算27句目)。
雑。 契る=恋。 冠台(かむりだい)=就寝時など冠を置いておく台。
【句意】(公家として)醜さを自覚しての、夜の契りを交わす、その折の冠台。
【付け・転じ】打越・前句=年輩女性の夏の手仕事から夏の恋へ。前句・付句=年輩女性の恋の恥じらいを公卿のものとして見立て替える。
【自註】定家は歌道の徳にして世上に高き名にも似ず、㒵付(かほつき)公家にしては請けとらぬ形といへり。有る時*、御殿のとまり番成る折ふし、火ともしの役せし宮女の艶(やさ)しきに手ざし給へば、「恋をそんな㒵でもか」といへり。時に、「さればこそ夜とはちぎれかづらきの」と即座の名哥*になづみ、此の女、心にしたがひけると也。句作りに、「覚えての」五文字、我すがたの悪きを覚えての心也。「冠台」は寝たる心を付寄せ也。
*有る時=「狂歌咄」のエピソード。 *即座の名哥=〽葛城の神は夜るこそ契りけれすがたによらぬ人はこゝろを(葛城神は醜貌)〔新編日本古典文学全集〕。
【意訳】藤原定家は和歌の道において世上名高き人だが、容貌は公家に似つかわしくなかったという。ある時(定家卿が)殿中にて宿直の役目の折、火を灯す役の優美な女官へ手をさしのばされると、(女官は)「そのような顔で恋を仕掛けなさるのか」と言った。その時(定家卿が)、「さればこそ夜とはちぎれかづらきの」と即座に名歌で返すと、うちとけた女官はその意に従ったのである。句の上五に「覚えての」とあるのは、自分の容貌を自覚しての心持である。下五「冠台」は同衾を示唆する心持の付けである。
【三工程】
(前句)飛込むほたる寝㒵はづかし
公家にして請けとらぬ形といへり 〔見込〕
↓
覚えての夜とはちぎれかづらきの 〔趣向〕
↓
覚えての夜とは契る冠台 〔句作〕
前句で恥じらう人を醜貌の貴族とみなし〔見込〕、どのような説話があるかと問いながら、定家のエピソードを扱い〔趣向〕、共寝する際の「冠台」という題材に焦点を絞った〔句作〕。
【先行研究】
下五の「冠台」が暗示的で、よく利いている。〔新編日本古典文学全集(加藤定彦氏)〕
「冠台」――言ってみれば映画のクローズアップみたいなものですね。
「なんや、その苦労なんとかいうんは」
大写しのことです。たとえば小津安二郎の『東京物語』、旅館の廊下のスリッパ二足に焦点をあわせ、寝付けない老夫婦の疎外感をシンボリックに映像化しています。
「新堀? ようわからんけど、その安二郎いう人、俳諧はしよるんかい」
はい、次回の番外編でご紹介します。