2023年10月18日水曜日

西鶴ざんまい #51 浅沼璞


西鶴ざんまい #51
 
浅沼璞
 
 
堀当て哀れ棺桶の形消え   打越
 寺号の田地北の松ばら   前句
色うつる初茸つなぐ諸蔓   付句(通算33句目)
 『西鶴独吟百韻自註絵巻』(1692年頃)
 
【付句】二ノ折、表11句目。秋(初茸=ベニタケ科で食用、赤松林の地上に自生)。
諸蔓(もろかづら)=双葉葵の異称。松―葛(類船集)。

【句意】色が変わる初茸を諸蔓で括ってつなぐ、その諸蔓。

【付け・転じ】打越・前句=打越の場を寺域の跡地と見なした其場の付け。前句・付句=松原に落葉を掻く子供を想定した抜け。
        
【自註】薄・根笹をわけわけて、里の童子(どうじ)、落葉をかく片手にさらへ*捨置き、目にかゝる紅茸(べにたけ)花茸によらず取集めて、細きかづらにつなぎて、草籠に付たるもこのもしき物ぞかし。一句に人倫(じんりん)*をむすばずして里の子の手業(てわざ)に聞えしを、当流仕立と、皆人此付(このつけ)かたになりぬ。
*さらへ=熊手のひとつ。 人倫=人間に関する分類概念をさす連俳用語。

【意訳】薄や根笹をかき分けかき分け、村里の子どもが落葉をかき、その片手間に熊手を捨て置き、目にふれる紅茸や花茸に限らず取集めて、それらを細いかづらに貫いてつなぎ、草刈籠にさしてあるのも、また趣のあるものである。一句に人情を入れず(抜け風に)里の子の仕業と知らしめたのを、最近の俳風*と心得、みんなこの付け方になった。

*最近の俳風(当流仕立)=藤村作『譯註 西鶴全集』は〈当流は談林派、仕立は付合作句の法〉、野間光辰『定本全集』は〈談林の「抜け風」・「飛び体」といふがこれ〉と注す。これに対し乾裕幸『芭蕉と芭蕉以前』は、当流を談林(宗因流)とするのは誤解で、当時の元禄正風体(疎句体)をさすのが正しいと指摘。しかし誤解されるのも無理からぬほど、元禄体には談林の抜け・飛びが活かされており、西鶴も元禄体を〈宗因流の延長上に捉えていた〉と付記する。さらにこれに対し今榮藏『初期俳諧から芭蕉時代へ』は、〈宗因風時代の抜けの手法の名残り〉が無いとはいえないが、〈宗因風時代には詞の知的遊戯を特色としたのにたいして、「心の俳諧」の趨勢のなかでまったく変質し、内容主義のものになっていた〉と元禄体を位置づけている。そして西鶴にもみられるこの内容主義が、〈蕉風とも通うところのあるもの〉と付言。談林から元禄体への流れを介して西鶴&芭蕉の俳諧が晩年に接近したことが述べられている。ともに談林を否定的媒介とし、アウフヘーベンした結果であろう。

【三工程】
(前句)寺号の田地北の松ばら
 
里の子の落葉を掻いてゐたりけり 〔見込〕
  ↓
落葉掻く片手に茸取集め     〔趣向〕
  ↓
色うつる初茸つなぐ諸蔓     〔句作〕

松原で村里の子ども達が落葉掻きをしていると見込んで〔見込〕、それだけに専心しているのかと問いながら、片手間に茸を取集めたりすると想定し〔趣向〕、その子ども(人物)を描かない「抜け」の手法で一句に仕立てた〔句作〕。

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