2023年12月4日月曜日

●月曜日の一句〔小澤實〕相子智恵



相子智恵






よどみにうかぶうたかたがわれ去年今年  小澤 實

句集『俳句日記2012 瓦礫抄』(2022.12 ふらんす堂)所収

あっという間に師走である。すぐに〈去年今年〉となるのだろう。掲句、言わずと知れた鴨長明『方丈記』冒頭の本歌取りである。

行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまることなし。世の中にある人とすみかと、またかくの如し。

川の水の流れは絶え間なく、淀みの水面に浮かぶ飛沫は消えては生じる。その泡の一つこそが自分だというのである。

第3句集『瞬間』以降、2000年から2011年までの句が、このたび第4句集『澤』(2023.11 角川文化振興財団)として刊行された。『俳句日記2012 瓦礫抄』は2012年の句だから、句の発表順としては第5句集に当たる。この2冊を合わせて、ようやく結社誌「澤」創刊(2000年)以降12年間(作者の40代半ばから50代半ば)の句を通して読むことができることとなった。私自身は結社誌「澤」に創刊から属しているので、『澤』『俳句日記2012 瓦礫抄』の句集に収められた句は既に結社誌で読んでいる。しかし、句集として凝縮・精選されたかたちで読むと、その時は気づかなかったことに気づく。次のような句の流れに(この三句が偶然か意図したものかは全く知らない)読者として新たに出会ったりするのである。

ケフチクタフケッシテ死ナナイデクダサイ 『澤』熊蟬領(平成十二年・十三年)

若楓を透くる日生キテヰテヨカッタ 『澤』生キテヰテヨカッタ(平成十八年・十九年)

百年後全員消エテヰテ涼シ 『澤』香水杓(平成二十年・二十一年)

上から、平成13年(2001年)、平成18年(2006年)、平成21年(2009年)の発表作である。どれも生死についての句で、どれも片仮名だ。〈ケフチクタフ〉の句は、「澤」創刊の1年後の発表。制作はもっと早いだろう。「澤」創刊時の風当たりは厳しく、創刊前の悲壮な顔を知る身からすれば、この祈りは誰から誰へのものかは分からないものの、小澤にとって重い句だと想像される。〈若楓を透くる〉は創刊5年を過ぎた辺り、先師の死後である。〈百年後〉は、創刊10年を迎える辺りだ。勢いの強い頃である。

〈百年後〉の句からは、〈虚子もなし風生もなし涼しさよ 小澤實〉という第1句集『砧』所収の句がうっすらと浮かんでくる。〈風生と死の話して涼しさよ 高浜虚子〉の本歌取りだ。〈百年後〉は句集『澤』の帯裏の自選句にも選ばれていて、うまい句だとは思うが、私個人としては正直あまり好きではない。神の視点、天からの視点(だからこそ美しいともいえるが)を感じるからだ。

〈よどみにうかぶ〉の句の話に戻ろう。〈百年後〉と〈よどみにうかぶ〉の句の間にあった大きな出来事がある。東日本大震災だ。〈百年後〉は震災前、〈よどみにうかぶ〉は震災後の句なのである。私は〈よどみにうかぶ〉の句が好きだ。〈百年後〉と同じ無常観の句であるが、それでも、川の中に浮かんでは消えていく一つの泡が自分であり、悲しみの視点が翻弄されていく人間の側からの、地からの視点を感じる。

もっと言ってしまえば、ジェノサイドの苦しみの中にある〈よどみにうかぶ〉から11年後の現代は、〈ケッシテ死ナナイデクダサイ〉の句に、私は一番、共感している。

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