2024年4月27日土曜日

■竹岡一郎 敬虔の鎧 42句

竹岡一郎 敬虔の鎧 42句




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建国日山雨に燃ゆる眼はをろち

父たちの離ればなれに征く焼野

天譴偽り黙契照らし野火は里へ

憑依の誤差とは薔薇の芽か童貞か

咲ひ閉ぢバレンタインの日の鋏

白魚の煮え閨怨を煽るらし

殴打の継承断つに霞の心身を

母たちは崖に泣き合ふ凧は沖

娘遍路の眺め殺すは自瀆漢

涅槃絵に骨とどめ置く外道かな

渦潮の巫山雲雨のうなさかへ

水憑く白さ雛の夜の仰臥とは

銀鉱の露頭に蒔きて毛深き種

囀りの昏きに母ら喰らひ合ふ

打ち揚がる手が摑みをり流し雛

春眠のたび霊となり月の裏へ

わらび湧くひそかな殉死さらすべく

貝のうち裂ける莟や卒業式

心中ごつこ蝶のつがひの出づるまで

雪のはて笛臥すのみの柩担ぐ

蘖を総身に生やし不死の志士

心拍を凧の糸から天へ拡ぐ

春を似て鏡のシケとわが鏡像

己が尾を欲り花衣まくるのか

電子にも香を聴く霊の春愁

花吐けり翼重くてならずもの

春の瀧無念の巨き顔降りつぐ

落人の杓文字鳴らすが花ざかり

鳥の巣の要とならむ透る髪

夢の老ゆるに耐へず落花は顔覆ふ

遍路ふたり蛹どろりと曳き摺つて

百千鳥忘られし忌が森に染む

頂点に蝶あまた噴く観覧車

花守の悔悟に猛る篝百

譜の孔うごめく招魂祭の自鳴琴

隕石は礫と散りて花うながす

雲雀野を火の粉散るごと逃げよ追ふよ

乳房へと海胆もどかしく匍匐せり

心音を海女に褒められ覚めやらぬ

土蜘蛛の網いちめんの桜の香

鉄鉢へ降り積む花の阿鼻を聴け

敬虔の鎧を組み直す遍路


2024年4月26日金曜日

●金曜日の川柳〔渡辺和尾〕樋口由紀子



樋口由紀子





僕のてのひらでひとのてのひらかな

渡辺和尾(わたなべ・かずお)1940~2021

自分のてのひらを見て、このてのひらは自分のためのてのひらであり、ひととつながり、ひとのためにも使う、やわらかいてのひらであるとつぶやいているのだろうか。

「僕」だけが漢字であとはすべてひらがな表記である。<僕の掌で人の掌かな>とは別の様相を呈する。ひらがなの並びには表情がある。ただ、てのひらをみつめているだけで、そこに理由や理屈を嵌め込む必要ないのかもしれない。ひらがながころころところがりながらひろがり、ひらがなでかたちづくられた世界が顔を出す。その素直さを感受する。『回歸』(2003年刊 川柳みどり会)所収。

2024年4月25日木曜日

【新刊】『全国・俳枕の旅62選』広渡敬雄

【新刊】
『全国・俳枕の旅62選』広渡敬雄




2024年4月22日月曜日

●月曜日の一句〔坪内稔典〕相子智恵



相子智恵






今午前十時三分チューリップ  坪内稔典

句集『リスボンの窓』(2024.3 ふらんす堂)所収

時間とチューリップだけが置かれた句。〈今午前十時三分〉という時間設定がなかなかである。まず、午前午後も含めてきっかりと今の時刻を描きこんだことで、時間に敏感になる平日を想像する。チューリップが咲く、年度初めの忙しい頃だ。

そして、〈午前十時三分〉というオンタイムに、たぶん晴れていて、チューリップがよく見える場所。例えば公園の花壇など……で、チューリップを眺めていられる人というのは、ビルの中で働く人や学業にいそしむ人などは、自然と想像から省かれるわけで、それだけで不思議とのんびりした気分が出てくる。リタイアして時間に余裕のある人か、あるいはちょっと「さぼり」の気分がある感じ。

さらに掲句の音、「ジュージサンプン/チューリップ」あたりの口が喜ぶ語呂のよさは、無造作なようで実はよく練られたものである。

偶然性を喜び、技巧を凝らさないようでいて、読者に与える印象は作者としてしっかり構築している。こういう「抜け感」(ファッション誌でいうところの、気取らずにリラックスした雰囲気を感じさせる、余裕のある洋服の着こなしのこと)のつくり方が、いつも見事な作者だと思う。

 

2024年4月21日日曜日

●川柳関連記事リンク集 その2 『週刊俳句』誌上における

川柳関連記事リンク集 その2
『週刊俳句』誌上における


飯島章友 川柳はストリートファイトである 第412号2015年3月15日

飯島章友 何度も反す八月の砂時計 1 第488号 2016年8月28日

飯島章友 何度も反す八月の砂時計2 第489号 2016年9月4日

小池正博に出逢うセーレン・オービエ・キルケゴール、あるいは二人(+1+1+1+n+…)でする草刈り 柳本々々 第403号 2015年1月11日

俳句/川柳を足から読む ホモ・サピエンスのための四つん這い入門(或いはカーニバルとしてのバレンタイン・メリイ・クリスマス) 柳本々々 第408号 2015年2月15日


恋するわかめ、或いはわかめの不可能性について 川柳はときどき恋をしている 柳本々々 第451号 2015年12月13日

あとがきの冒険 第17回 会える・ときに・会える 時実新子『新子流川柳入門』のあとがき 柳本々々 第503号 2016年12月11日

あとがきの冒険 第20回 斡旋・素手・黒板 樋口由紀子『川柳×薔薇』のあとがき 柳本々々 第509号 2017年1月22日

あとがきの冒険 第23回 って・途中・そ なかはられいこ『大人になるまでに読みたい15歳の短歌・俳句・川柳 ③なやみと力』のあとがき 柳本々々 第512号 2017年2月12日
ことばの原型を思い出す午後 飯島章友の川柳における〈生命の風景〉について 小津夜景 第510号 2017年1月29日

八上桐子『hibi』を読む 三島ゆかり 第828号 2023年3月5日

川合大祐川柳句集『スロー・リバー』を読む 三島ゆかり 第832号 2023年4月2日

【柳誌を読む】『川柳ねじまき』第2号(2015年12月20日) 西原天気 第455号 2016年1月10日

非-意味とテクスチャー 八上桐子の川柳 西原天気 第828号 2023年3月5日

特集 柳×俳 第383号 2014年8月24日

柳俳合同誌上句会2020 

柳俳合同誌上句会2022

2024年4月20日土曜日

●川柳関連記事リンク集 その1 『週刊俳句』誌上における

川柳関連記事リンク集 その1
『週刊俳句』誌上における


柳×俳 7×7 樋口由紀子×齋藤朝比古 第6号 2007年6月3日

「水」のあと 齋藤朝比古×樋口由紀子 第7号 2007年6月10日

柳×俳 7×7 「水に浮く」「水すべて」を読む 上田信治×西原天気 第7号 2007年6月10日

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柳×俳 7×7 小池正博×仲寒蝉 第8号 2007年6月17日

「悪」のあと 仲 寒蝉×小池正博 第9号 2007年6月24日

柳×俳 7×7 「金曜の悪」「絢爛の悪」を読む 島田牙城×上田信治 第9号 2007年6月24日

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柳×俳 7×7 なかはられいこ×大石雄鬼 第16号 2007年8月12日

 「愛」のあと 大石雄鬼×なかはられいこ 第17号 2007年8月19日
https://weekly-haiku.blogspot.com/2007/08/blog-post_19.html

 第16号・柳×俳 7×7 「二秒後の空と犬」「裸で寝る」を読む(上)遠藤治・西原天気 第17号 2007年8月19日

同(下)遠藤治・西原天気 第 18号 2007年8月26日

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川柳 「バックストローク」まるごとプロデュース号 第150号 2010年3月7日


〔週俳3月の俳句・川柳を読む〕穴について 斉藤齋藤 第156号 2010年4月18日

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爽快、「理解不能で面白い」という感じ方。樋口由紀子『川柳×薔薇』を読む 山田耕司 第213号 2011年5月22日

親切で誠実な批評 樋口由紀子『川柳×薔薇』を読む 西原天気 第251号 2012年2月12日

川柳という対岸 『バックストローク』最終号を読む 西原天気 第242号 2011年12月11日

川柳大会の選句をしました 西原天気 第399号 2014年12月14日

2024年4月19日金曜日

●金曜日の川柳〔竹井紫乙〕樋口由紀子



樋口由紀子





両足がつった場合のセロテープ

竹井紫乙(たけい・しおと)

同じテープだけれど「テーピングテープ」では?とまず思ってしまった。川柳は事実を書くものだけではないから、もちろんかまわないけれど、軽く心地よく裏切られる。「セロテープ」を入れることのよって、「テーピングテープ」が飛んでいく。「テーピングテープ」が抜けることによって、「セロテープ」が浮き上がってくる。

「セロテープ」のどことない寄る辺なさが意外なほどの存在感を発揮する。なぜ、「両足がつった場合」なのかは謎だが、言葉の綾を活用して、言葉を動かすおもしろさがある。文脈の中で生じる意味を楽しみたい。

2024年4月17日水曜日

西鶴ざんまい 番外篇21 浅沼璞



西鶴ざんまい 番外篇21
 
浅沼璞
 
 
開催前から話題の「大吉原展」(3/26~5/19 東京藝大美術館)を観てきました。

 
三都の遊里(嶋原・新町・吉原)のうち、西鶴と最も縁のうすい吉原とはいえ、17世紀後半の展示作品には、浮世草子を彷彿とさせるものが多く、興味が尽きませんでした。以下、大判300頁超えの大部な図録を参照しつつ綴ります。


まず目をひいたのが菱川師宣。『好色一代男』江戸・海賊版の挿絵を描いた師宣ですが、その『江戸雀』(1677年)は江戸で刊行された最古の地誌との由。見開きの挿絵「よしはら」では、あの「見返り美人図」の原型の如き太夫の道中姿(ほぼ四頭身)が、俯瞰的な構図で描かれていました。

 
つぎに目をひいたのが衣裳人形の「遊里通い」(大尽・中居・奴)です。衣裳人形とは、〈木彫胡粉仕上げの体躯に人間の着物と同様の布帛(ふはく)で衣服をつくって着せた人形で、なかでも同時代の遊里や芝居を主題としたものは「浮世人形」と称されて天和・貞享の頃(十七世紀後期)から技巧化がすすみ、大人が鑑賞愛玩する人形として発展した〉ものだそうです。

とりわけ大尽の若侍は、一代男・世之介を思わせる粋な優男の風情でした。

 
そして英一蝶「吉原風俗図巻」(1703年頃)。一蝶は江戸蕉門の俳諧師にして吉原の幇間でもあった浮世絵師。遊里でのトラブルから三宅島配流の刑に処せられ、その配流時代にかつての遊興を思い出して描いた肉筆画がこれで、師宣作品や「浮世人形」と同じく、17世紀後期の遊里のフレバーが漂います。

そんな一蝶(俳号は曉雲)の花の句を一句あげましょう。

 花に来てあはせはをりの盛かな   『其袋』(1690年)

さてラスト、時代は下りますが、花つながりで喜多川歌麿「吉原の花」(1793年頃)。「深川の雪」「品川の月」とあわせ、最大級の肉筆画として知られる三部作で、海外からの里帰り作品。思えば七年ほど前、箱根・岡田美術館で「深川の雪」「吉原の花」が138年ぶりに再会(?)という企画展があり、長蛇の列。数メートル離れた位置から時間制限内での鑑賞を経験した身としては、(一作のみとはいえ)至近距離で時間制限なく鑑賞でき、感無量という外ありませんでした。

2024年4月14日日曜日

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週刊俳句の記事募集


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時評的な話題

イベントのレポート

これはガッツリ書くのはなかなか大変です。それでもいいのですが、寸感程度でも、読者には嬉しく有益です。



そのほか、どんな企画でも、ご連絡いただければ幸いです。

2024年4月12日金曜日

●金曜日の川柳〔まつりぺきん〕樋口由紀子



樋口由紀子





三億円事件みたいに咲く桜

まつりぺきん

まだかまだかと待っていた桜がやっと咲いた。桜は待っていればいずれは咲く。つぼみが膨らみはじめたり、ピンクになったりと、徐々に咲く準備に向かっていることはわかっていた。

しかし、「三億円事件」は違う。1968年に約三億円の現金が白バイ警官に扮した男に奪われた窃盗事件である。突然で、度肝を抜かれたことを思い出す。では、どこが「みたい」なのだろうか。咲くことは予想していても、満開の桜は美しく、この世のものとはおもえない。つまりはとてつもなく心が騒ぐからなのだろうか。はじめて浮かび上がった関係性である。「三億円」というモノではなく、「三億円事件」というコトを使ったのがいかにも川柳っぽい。

2024年4月8日月曜日

●月曜日の一句〔高橋睦郎〕相子智恵



相子智恵






花や鳥この世はものの美しく  高橋睦郎

句集『花や鳥』(2023.2 ふらんす堂)所収

句集の「序句」として置かれた一句である。ふと奥付を見れば、発行日は2024年2月4日となっていて、〈小鳥來よ伸びしろのある晩年に〉の句を同書に収める、七十余年俳句と付き合ってきた晩年の、その新しい春の始まりにこの句集を誕生させたのだな、と思った。もちろん偶然かもしれないが。

跋文に、〈芭蕉は敢へて俳諧の定義も、發句の定義も積極的にはしなかつたやうに思ふ。(中略)「物の見えたる光、いまだ心に消えざる中【うち】にいひとむべし」も、用であつて體ではない〉と書く。掲句の「もの」は芭蕉の言葉を踏まえていよう。定義で固めて殺してしまわない、連続する「今の揺らぎ」の美しさ。そうすると、〈この世は〉の「は」もまた、この世に固めることはできないのではないか、と思われてきて、異界のこともまた、思われてくるのである。

花も鳥の声も、春爛漫の今日この日の現実であり、「花鳥」という詩歌や絵画の美意識の積み重ねられた物語でもあって、この世もあの世も、今も昔も、虚実も超えて俳句が存在することを寿ぐような一句である。

今、このパソコンを打っている私の耳には窓の外から、東京の鳥たちの声が聴こえていて、ぼんやりと遠くに花の雲が見えていて、ああこの一瞬も、「ものの美しく」なのだな、それは心の中でいくらでも自由に、虚実を超えて広がっていくのだな、と思った。

 

2024年4月5日金曜日

●金曜日の川柳〔瀧村小奈生〕西原天気



西原天気

※樋口由紀子さんオヤスミにつき代打。



むかし、ビジネスマナーの実用書に「ふだんより1オクターヴ高い声で挨拶しましょう」とあって、そうすると元気に聞こえるというのだが、ちょっと、待て、1オクターヴがどれくらい高いか、わかってゆってるか? 声は確実に裏返るし、場合によっては、気がふれたと思われてしまうだろう。ま、ものの喩えなんでしょうけれど。 

わたしより半音高い雨の音  瀧村小奈生

これくらいがいいと思います。微妙に高いくらいが。

半音の聴き分けは、難しいには難しいですけどね。

掲句は、瀧村小奈生『留守にしております。』(2024年2月/左右社)より。

2024年4月3日水曜日

西鶴ざんまい #58 浅沼璞


西鶴ざんまい #58
 
浅沼璞
 
 
 末摘花をうばふ無理酒   打越
和七賢仲間あそびの豊也
   前句
 銅樋の軒わらひ捨て
    付句(通算40句目)
『西鶴独吟百韻自註絵巻』(1692年頃)
 
【付句】二ノ折、裏四句目。雑。
銅樋(あかがねどひ)=竹や槙の樋より高価で、富裕層の住居で使われた。

【句意】ぜいたくな銅樋(を設える上層階級)を一笑に付して。

【付け・転じ】打越・前句=「無理酒」から「無理」に賢人を真似た和製七賢への付け。前句・付句=和賢人の目線(無常観)から上層階級への冷笑へと転じた。

【自註】世を隙(ひま)になしたる親仁ども、毎日の楽(らく)遊び、きのふは通天*の紅葉に気を移し、けふはふな岡山*に人のかぎりを思ひ定め、京中の白壁作り、入日にうつるを詠めて、「あれあれあの栄花(えいぐわ)も、人間わづか五十年のたのしみ、死にては何になるやらしれもせぬ。其の身もかはゆや、商売に明け暮れ」
*通天(つうてん)=京の通天橋は紅葉の名所。 *ふな岡山=京の火葬場。

【意訳】世間から引退した老人たち、毎日気ままに遊び、昨日は通天橋の紅葉に気を紛らわせ、今日は舟岡山に人の命の限りを悟り、京都中の贅沢な白壁作り、落陽に映ずるをながめて、「あれあれあのような繁栄も、人間わづか五十年の命のたのしみ、死後は何のためになるやも知れぬ。その身が可哀そうなことだ、商売に明け暮れするばかりとは」

【三工程】
(前句)和七賢仲間あそびの豊也

  栄花もわづか五十年なり〔見込〕
    ↓
  わらひ捨てたる白壁作り〔趣向〕
    ↓
  銅樋の軒わらひ捨て  〔句作〕

和製賢人の目線(無常観)に照準を合わせ〔見込〕、人の世にはどんな無駄があるかと問いながら、富裕層の住まいに目を向け〔趣向〕、とりわけ高価な銅樋をクローズアップした〔句作〕。




銅の樋は高価だったかもしれませんが、そのぶん排水性・耐久性に優れ、結局は経済的、と定本全集の註にありますけど。
 
「また細かいこと言いよるな。長持ちする言うたかて、四十でこさえたら、亡うなるまでの十年しか用を足さへんやないか」
 
残せば子孫のためになる、って『日本永代蔵』にあったような。
 
……。もう忘れたがな。