西原天気
※樋口由紀子さんオヤスミにつき代打。
かなでは切れぬ樋口可南子かな 渡辺隆夫
たしかに。「ひぐちかなこ」は「ひぐちかな/こ」とはならない。
〈切れ〉の有無が問題になるのは、俳句だけではなく川柳も、なのかどうか、浅学にして存じ上げないけれど、〈切字〉が川柳で話題になるのをとんと聞いたことがない。きっと、〈切れ〉や〈切字〉は、川柳から見れば、俳句という向こう岸の出来事なのだろうと、勝手に思う。だから、この句、批評的に、対岸を眺めている句なのだと思う。
俳句にも俳人にも、とてもいいかげんなところがあるので、顰めっ面で〈切れ〉や〈切字〉を語るそばで、「かな?」と首をかしげるポーズが似合う〈かな〉や、「関西弁の語尾にしか聞こえない〈や〉に出会ったりして、いいかげんが別に悪いことではないのであるから、憤るほどのことでもない。古池やん蛙とびこむ水の音、と、一文字付け足すだけで関西弁にしたり、木犀の香にあけたての障子かな? は元の「?」がないかたちと、あんがい同様・同等の興趣があるような気もする。あるいは、下五をすべて「西野カナ」にして、「さあ、ぜんぶ切れてるぞ」と顰蹙を買う日々であっても、誰にも迷惑はかけない。おそらく。
掲句は、『現代川柳の精鋭たち』(2000年7月/北宋社)より。
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