2026年4月3日金曜日

●金曜日の川柳〔細川不凍〕湊圭伍



湊圭伍





春の夜の不思議なものに家族の眼  細川不凍

家族のまなざしはそのまま日常の関係だ。お互いによく知っていると思っているから、見ているつもりでも実はぜんぜん見ておらず、すでに観念になっていて、だからこそ、家族として平穏に暮らせているのかもしれない。

掲句では、「春の夜」という漠とした設定によって、一家は少しだけこうした関係から遊離し、即物的な「家族の眼」がすぐそこに浮かんでいる。それは同時に、語り手自身の身体がとりあえずは安定した日常的あり様からごろんと投げ出される体験であろうか。「不思議」とは元は仏教用語で、「人間の認識・理解を越えていること。人知の遠く及ばないこと。」という意味だそうだ(コトバンク)。家族の視線という日常が即「不思議」であるという体験が、この句の内容と言えるだろう。

というような読みをした上でこの句の読み味の核は何かと考え直すとそれは、唐突でかつ日常にはとり立てて影響もなく忘れられるだろうこの認識が、身体を欠いてぽかりと浮かぶ言葉として実現されている事態への驚きである。「不思議なもの」は実は珍しくもないのだろうが、私たちが剥き出しのそれに触れるのは稀である。『細川不凍集』邑書林、2005年。

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