光と色 ● 野口 裕
少々汚い紙の箱がある。
なかを覗くと、
のぞき穴に仕掛けがあって、右側に虹の七色が浮かび上がる。分光器という。箱の向こう側に光の取り入れ口がある。上の写真では、左側。
そこから、取り入れる光を変えると…
これは、ナトリウムランプの光。高速道路のトンネルの中でよくお目にかかる。ご覧のように虹の七色ではなく、オレンジ系統ただ一色の光となっている。同種の光は、台所でもちょくちょくお目にかかる。塩分を含んだ汁などがガス火に吹きこぼれると、ガス火は異様に黄色い炎を上げるが、ナトリウム元素を含んだ物質が熱せられるとこのような光を放つことで起こる。
元素が変われば、熱せられたときに発する光の色も異なる。色鮮やかな花火の様々な色は火薬の中に仕込まれた諸々の元素が熱せられることで生まれる。
花火 → http://www.yumenara.com/hanabidb/
蛍光灯は水銀蒸気から発せられる光を用いるが、なるべく自然の光に近くなるように蛍光灯の管内部に蛍光物質を塗ってある。
少々取り入れる光が強すぎて、写真の出来の悪いのは勘弁して欲しいが、紫のあたりにぴかりと光る部分が水銀蒸気から発せられるもので、連続的に広がる虹の七色は蛍光物質から発せられている。
ちょっと不思議なのは、紫の部分に肉眼では一本の線しか見えないのにカメラでは二本の線が見えていることだ。一番左側の部分は肉眼では紫外線の領域に入って見えていないのかも知れない。カメラは携帯電話のものなのでそれほど高級でもないのだが。また、写真が悪いので見えにくいが、緑の部分にも、ぴかりと光るところがある。
ナイター照明に使うカクテル光線は、蛍光物質抜きの水銀灯とナトリウムランプを混合して使う。
いつも不思議に思うのは、光の色とは光の波長の違い(この写真では光の取り入れ口から近いか遠いかの距離)に過ぎず、波長という単なる数字で一元的に表されることだ。赤いとか、緑とか、青だとかに質的な相違はない。にもかかわらず我々の感覚では歴然と違う。光の波長という数的で一元的なものを、質的な違いとなぜ感じるのだろうか?
植物の光合成では、虹の七色のうち主に、中央部分を除いた赤い部分と紫の部分が利用される。利用されない光は、植物に吸収されず反射される。植物が緑色に見えるのは、そうしたことが反映している。
我々の色覚は、植物の跳ね返す光の色を基準として、生まれてきたのではないか。というのが、私の妄想だが、あまり当てになる話ではない。
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