ジョージ・ハリスン忌
中嶋憲武
2001年11月29日(日本時間では30日)、ジョージ・ハリスン、肺癌で逝く。ジョンの忌日はビートルズを知らない人でも、不思議なことに知っているかもしれないが、知られていないジョージの忌日。
オール・シングス・マスト・パスを聴く。
ジョージの曲は、ビートルズ時代も、ソロになってからのダークホース時代のものも、ワーナー・ブラザーズ時代のものも、すべて良いがやはりこの、オール・シングス・マスト・パスだろう。
これを聴いていると、ビートルズのなかではポールが一番好きだと思っていたが、ジョージが一番好きだったのではないかと思えてくる。
小学生のころ、12歳離れた従姉の部屋に貼ってあったフィル・スペクター盤のジャケットそのままの「レット・イット・ビー」の菊半裁のポスター。振り向いたジョージが一番ハンサムと感じ、好感を持った。
中学生になって、従姉の影響もあって、ビートルズを聴き始め、彼らに関する資料を読み漁っていた時期に、たしかあれは立風書房の「ビートルズ事典」だったか、ジョージの好物はゼリー・ビーンズで、嫌いなことは散髪と書かれてあって、それをそっくり鵜呑みに真似した。ぼさぼさの頭でゼリー・ビーンズを齧り、紅茶を飲みながら、居間の隣の三畳の小部屋で、ターン・テーブルにゆっくりと、「リヴィング・イン・ザ・マテリアル・ワールド」を載せると日が差して来て、試験にはまだ間のある、しばしの至福の時間。
ジョージの独特の声も魅かれるものがあり、それがすぐにジョージだと分かる。ロバート・ゼメキスの映画「抱きしめたい」(これはビートルズ好きの者たちにとっては、たまらない映画だ)で、ナンシー・アレンがビートルズの宿泊先のホテルにこっそり忍び込み、グレッチを抱きしめてうっとりしていると、ビートルズが公演から帰ってきて、慌ててベッドの下に潜り込む。ここからは、ナンシー・アレンの視点になって、ビートルズは足下しか見えず、声色を真似た喋り声がほんの二言三言聞こえるのだが、ジョージの声、これがもしかして本人?と思うほど特徴を掴んでいて、妙に大人びたような喋り方が、ジョンとポールの会話に割って入る。明るい陽光には影がつきもののように。
解散後の彼らのアルバムを、つぎつぎに聴いていくうち、最もビートルズだったのは、ジョンでもポールでもなく、ジョージだったのではないかという思いを強くした。
オール・シングス・マスト・パスを聴いてみると、よく分かる。そのヴォリューム、メロディーラインの美しさ。後半のoriginal jamのセッションのなかの曲、「アイ・リメンバー・ジープ」などは、一瞬ポールが作った曲と勘違いしてしまう。いかにもアルバム「RAM」あたりでやりそうな感覚の曲なのだ。
もう一度、はじめから聴いてみよう。
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