大本義幸句集『硝子器に春の影みち』を読む・続 〔 2 〕
羽田野 令
『硝子器に春の影みち』は沖積舎の沖山隆久氏はじめ、大本氏のまわりの多くの人たちによって出来上がった本である。解説のほかに栞の文章が五人、句の選をされた方が四人だそうである。挿絵の方も友人という、幸せな句集である。
くらがりへ少年流すあけぼの列車
第一章「非(あらず)」からの一句。
経済成長によって戦後の都市が吸収した若年労働力とそれを運んだ列車のことを思う。流行歌では守屋浩が恋人が東京へ行ったことを歌い、僕も行こうあの娘の住んでるトーオキョーへ、と結んだ時代。工業化にともない都市人口が急速に膨れ上がり近郊を含めて町の姿が変わっていった時代。
大本氏自身は18歳で大阪へ出、そしてすぐ東京へ出ているが、この句は、一少年としての自己が主体ではなく、都市へのそういう人口流入の現象を俯瞰する視点が貫かれている。「流す」の主体はその時代の社会全体である。そして流す先は輝いている都会生活ではなくて「くらがり」だと言う。
「くらがり」とは、人間が労働力として機能する資本主義の底を見つめたような言葉。そう言い切ることのできる目は、かなり時代を覚めている目である。そして少年の希望を灯した「あけぼの」。「あけぼの」にある赤の、これから明るんでいく色が「くらがり」に対して美しい。
(つづく)
〔参照〕 高山れおな 少年はいつもそう 大本義幸句集『硝子器に春の影みち』を読む ―俳句空間―豈weekly 第11号
〔Amazon〕 『硝子器に春の影みち』
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羽田野さん、好い句をえらばれたなあ、とおもいました。
返信削除くらがりへ少年流すあけぼの列車 義幸
【くらがり」とは、人間が労働力として機能する資本主義の底を見つめたような言葉。そう言い切ることのできる目は、かなり時代を覚めている目である。そして少年の希望を灯した「あけぼの」。「あけぼの」にある赤の、これから明るんでいく色が「くらがり」に対して美しい。】(令)
少年を都市に引きつけるのは、資本主義の近代化の強力な流れである、ということは、そのとおりだと私も思います。
「あけぼの列車」はうつくしい朝を走っていくのですが、、これから明るくなって行くはずの都会は、「くらがり」だというこの背離が怖いし、少年のアンビバレントな心情をかいま見る思いです。
藤木清子に、、
前書き付きの
“放浪の弟に寄す”
飢えつつも知識の都市をはなれられず 清子
というのがあり、(戦前の作です)都市に引きつけられる青春のひとつの動機をいい止めています。大本さんは、そういう巷間の無名者の視線をもちつづけてきたのすね。
吟さま
返信削除惹かれる句が多いので、どれを引こうか迷います。
>これから明るくなって行くはずの都会は、「くらがり」だというこの背離が怖いし、少年のアンビバレントな心情をかいま見る思いです。
そうですね。くらがりとあけぼのとのアンビバレンスがうまく少年の心情に被さってきますね。