2009年7月17日金曜日

●中嶋憲武 夜のぶらんこ(下)


夜のぶらんこ(下)

中嶋憲武


誂えたお菜をあらかた食べてしまい、飲みものも2杯ほど進んだところでうどんにしようかと話がまとまった。ぼくは鴨南蛮を誂え、鳥子さんは釜玉を誂えた。

運ばれてきたうどんを啜りながら、鳥子さんは問わず語りに中学生のころの話をした。

弟はいつも部屋でひとり拗ねていて、父親は働かないもんだから、母は毎日のように父と喧嘩していたの。弟はいま30を越してるけど、仕事しない。定職についてない。アルバイトに週に何日か行ったかと思うと、辞めて帰ってくるっていう繰り返し。ふだんは家に引きこもってる。きっと働くのが厭なんだよ。むかし、家族で海に行くことになって、わたしも弟もよろこんで駅まで行ったんだけど、駅で母と父が口喧嘩になって、海には行かずみんなで家に逆戻り。そんな家族。父は離婚して遠くに住んでる。だから家が厭で厭で。よくグレなかったと思うよ。

鳥子さんはにこにことそんな話をした。

うどんを食べ終わって店を出た。もうすっかり暗くなっていた。風が首筋に生暖かい。すこしべとべとする。どこへ行くという当てもなく、夜をただ歩いた。墓地があったので、そちらへ歩いて行った。広い墓地だった。幼児のころみていたテレビドラマで、幽霊となった男女が墓石に座ってギターを弾きながら、なにかというと「宙ぶらりん宙ぶらりん」と歌う場面があった。なんていうタイトルであったか、どんな歌であったか忘却の彼方だが、そこの歌詞だけ覚えている。宙ぶらりん宙ぶらりん。ぼくたちもまるで宙ぶらりんなのであった。

墓地を宙ぶらりんで歩いていると、小さな公園があった。ぶらんこと雲梯と象の乗り物しかないような公園だった。鳥子さんは、わあ、ぶらんこぶらんこと言いながらぶらんこの方へ走っていき、ぶらんこに乗った。ぼくも何年ぶりかでぶらんこに乗り、漕いだ。

青白い電燈の下で、ぼくと鳥子さんの影が追い付いたり離れたりした。だんだん加速して行き、弧が大きくなっていった。むかしはもっと空へ近づけたような気がする。星のない梅雨の空を見上げながら漕いだ。もっと近づけ、もっと近づけとぐんぐん漕いだが椅子から体がはみ出してしまいそうで、そのたびに現実に引き戻される気がした。鳥子さんがいつまでも漕いでいるので、減速しかけたところだったが、足の裏で地を思い切り蹴って、空へ近づくために漕いだ。そうして二羽の鳥は追い付いたり離れたりしながら、南の空へ南の空へ時間の足を追いかけつづけた。

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