【週俳第150号を読む】
俳句キャラ
佐藤文香
体温で分ける猫キャラうさぎキャラ 石田柊馬
猫キャラとうさぎキャラは同一人物が演じわけられそう。「体温で分ける」というのがその道のプロっぽくて好き。
あるキャラを演じなきゃってときに、「カワイイ系全部担当可能」とか、いっそ「オレはライオンだ」ならわかりやすいけど、似ていてもどうしてもできない役っていうのがある。
「キモカワ(気持ち悪い×かわいい)」と「エロカワ(エロい×かわいい)」、「カッコカワ(カッコいい×かわいい)」はできても、単なる「カワイイ」は無理、とか。本人は結構こだわりを持って、演じ分けたり、演じない表明をしたりする。まわりから見てどうであるかは別として。
一般的に言えばかわいいくそじじい
石田柊馬
「なぜ川柳ではなく俳句か」と問われたとき、自分に関してだけ簡潔に答えるなら「私、キャラ的に俳句だからです」というのが、必要十分である気がする。俳句は自分っぽいと思う。
何かを見ていいと思ったそれがすでに、「俳句な自分」の判断で、俳句以外の何かをやっているのも「俳句な自分」。しかもその「俳句な」の部分は、「自分の思う<俳句>な」だから、何が自分で何が俳句かもうわからない。この句の「くそじじい」が可愛くて好きなんだけど、こうは「くそじじい」を使えない、それって「俳句な自分」だと思う、ぼんやり。
で、でも、その自分が思ってた「(川柳でなくて)俳句な」ってのが、「川柳に関する20のアフォリズム(樋口由紀子)」を読んで、クリアになった。やっぱ私、かなり俳句だ。季語の捉え方だけは、俳句っぽくないかもしれないけれど。あれ、この「(みんなにとっての)俳句っぽい」って、どんなんだっけ。くそー、私、評論は無理なんだよなぁ、キャラ的に……(ってことに)。
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