ホトトギス雑詠選抄〔26〕
夏の部(七月)金魚・上
猫髭 (文・写真)
金魚大鱗(たいりん)夕焼の空の如きあり 松本たかし 昭和10年
大夕焼の空を金魚がゆつくりと尾鰭をたなびかせて泳いでいるような句である。この句と並ぶと、ほかの「ホトトギス」の金魚の句が、
吾もありと金魚の中の目高かな 一転
と、目高に見えてしまうという絢爛たる比喩が成功している一句だろう。井伏鱒二の初期の名短編『鯉』のように、鮒や鮠や目高を引き連れて泳いでいるような秀句である。茅舎がたかしを「生来の芸術上の貴公子」と評しただけのことはある。稲畑汀子はたかしの句を「一度読めば忘れられない震いつきたくなるような魅力がある」と述べているが、この一句など、然なり。夏は更なり。
勿論、掲出句と比べればという、偏愛的分類比較に淫した読みなので、
もらひ来る茶碗の中の金魚かな 内藤鳴雪
金魚飼ふこどもあがりの夫婦かな 森川暁水
も、金魚を飼った者なら誰でも微笑ましく思える佳句である。
写真は、文京区本郷の金魚屋「金魚坂」(二階はレストランで「ビーフ・黒カレー」が名物。http://www.kingyozaka.com/)の和蘭獅子頭(おらんだししがしら)と短尾珍珠鱗(ピンポンパール)。このレストランを兼ねる「金魚坂」は、菊坂の樋口一葉の旧居跡の向かいにあり、吟行にも利用される。葉巻喫茶もあり、コースターからカーテンから硝子窓から、すべて金魚の装飾という凝った「都会の隠れ家」である。
(つづく)
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