ホトトギス雑詠選抄〔26〕
夏の部(七月)金魚・下
猫髭 (文・写真)
「ホトトギス」や俳句にこだわらずに、金魚の詩や童謡、小説、川柳、短歌や絵を逍遥して、すぐ思い浮かぶものに遊べば。
金魚のうろこは赤けれども
その目のいろのさびしさ。
さくらの花はさきてほころべども
かくばかり
なげきの淵に身をなげすてたる我の悲しさ。(萩原朔太郎『金魚』)
見よ池は青みどろで濃い水の色。そのまん中に繚乱として白紗よりもより膜性の、幾十筋の皺がなよなよと縺れつ縺れつゆらめき出た。ゆらめき離れてはまた開く。大きさは両手の拇指(おやゆび)と人差指で大幅に一囲みして形容する白牡丹ほどもあらうか。それが一つの金魚であつた。(岡本かの子 『金魚撩乱』)
「あたい、いつ死んだつて構はないけど、あたいが死んだら、をぢさまは別の美しい金魚をまたお買ひになります?とうから気になつてゐて、それをお聞きしやうと思つてゐたんだけれど。」
「もう飼はないね、金魚は一生、君だけにして置かう。」(室生犀星『蜜のあはれ』)
金魚は魚だった歓びだけ残す 時実新子
子が問へる死にし金魚の行末をわれも思ひぬ鉢洗ひゐて 島田修二
薄氷の裏を舐めては金魚沈む 西東三鬼
金魚玉とり落しなば舗道の花 波多野爽波
路地裏を夜汽車と思ふ金魚かな 攝津幸彦
絵画では、何と言っても京琳派の神坂雪佳(かみさか・せっか)の「金魚玉図」で、松本たかしはこの絵をモチーフにして詠んだのかと思うほど、画賛のようにぴたりと合う傑作で、京都は左京句岡崎にある日本古美術の細見美術館(http://www.emuseum.or.jp/)で見ることが出来る。『カラー版新日本大歳時記 夏』(講談社)の「金魚」の項も雪佳のこの画である。白黒だが、『図説俳句大歳時記』(角川書店)には、最後の浮世絵師と言われた小林清親の『金魚と植木鉢』が掲載される。傍題に「出目金」も出るが、解説で「目出金」と誤植されているのが笑いを誘う。歌川国芳の「金魚づくし」も有名で、金魚が酔っ払ってカッポレ踊ったり、蛙を露払いに纏を担いだりする。マティスも金魚の絵も名高い。
ジャンルは違えど、金魚はそれぞれのスタイルで表現されていて面白い。
大皿に金魚藻を浮かべて、尾鰭の優雅な和金を一匹遊ばせて眺めるのは、なかなか涼しく癒される眺めである。
もっとも、北原白秋の童謡のように、残酷なものもある。
母さん、母さん、どこへ行た。
紅い金魚と遊びませう。
母さん、歸らぬ、さびしいな。
金魚を一匹突き殺す。
まだまだ、歸らぬ、くやしいな。
金魚をニ匹締め殺す。
なぜなぜ、歸らぬ、ひもじいな。
金魚を三匹捻ぢ殺す。
涙がこぼれる、日は暮れる。
紅い金魚も死ぬ死ぬ。
母さん怖いよ、眼が光る。
ピカピカ、金魚の眼が光る。(北原白秋『金魚』)
金魚が癒しにならない珍しい童謡である。
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