ホトトギス雑詠選抄〔27〕
夏の部(七月)夕立・上
猫髭 (文・写真)
祖母山も傾山(かたむくさん)も夕立かな 山口青邨 昭和8年
初めてこの句を目にしたとき、祖母山がどこにあるかも傾山がどんな山かも知らないが、祖母山は女体山のようになだらかな稜線を持っているようで懐かしく、傾山は祖母山の懐に抱かれるように傾いて夕立にけぶって消え入りそうな風情が感じられ、その名前のゆかしさだけで、白い雨脚が山から山へヴェールをかけるように柔らかく渡って移りゆく様が見えるような句だと思った。
夕立の句と言うと、墨提通りの三囲(みめぐり)神社の雨乞いの句「夕立や田をみめぐりの神ならば 宝井其角」という「豊か」を折り込んだ句が故事来歴的には有名だが、子規以降の一句としてはこの青邨の句が際立つ。
この句を頂点に、他の夕立の句、例えば高野素十の「小夕立大夕立の頃も過ぎ」、などはこの句の解説のように見えてしまうし、野見山朱鳥になると「英彦山(ひこさん)の夕立棒の如きなり」で、杉田久女の英彦山で得た名句「谺して山ほとゝぎすほしいまゝ」から虚子の去年今年まで引き合いに出すどしゃぶりであり、櫨木優子(はぜき・ゆうこ)の「記紀の世の山川現れて夕立あと」というわたくしの好きな句とも、響き合う。名句というものは様々な彩りの句を引き寄せる磁力があるかのようだ。殊に地名が詠まれると否応無く掲出句は浮かび上る。
さつきから夕立の端にゐるらしき 飯島晴子
が、地名や古代の呪縛から離れて屹立する、青邨の句に匹敵する名句と言えようか。
今回掲出句を採り上げるにあたり、ネットで検索して祖母山・傾山縦走の写真を見ると、大分県の山で、祖母山が1757mで傾山が1602mという、ちょっとそこまでハイキングと、のこのこ軽装で出かける山にあらず。雲海を見下ろす雄大な山系である。祖母山も傾山も日本百名山には入らないが、まさしくこの一句によって「歌枕」のように忘れがたい句になった。いわゆる筑波山のように、たちどころに「筑波嶺の峰より落つるみなの川恋ぞつもりて淵となりぬる 陽成院」と口の端に上る「歌枕」ではないが、青邨に詠まれる事によって「歌枕」のように刻み付けられた句で、「白河の関」と言えば「秋風」と連想するように、祖母山、傾山と言えば「夕立」と刷り込まれてしまうほどのインパクトがある。これを「俳枕」と言ってもいいかもしれない。
(つづく)
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