2010年10月19日火曜日

●コモエスタ三鬼 番外篇 山田露結

コモエスタ三鬼 Como estas? Sanki

番外篇

山田露結


ペンキ屋のつねさんは町内にある俳句教室に毎週通っている。

僕がつねさんに連れられてその教室を訪れたのは今から7、8年前のこと。

以前から俳句をやってみないかと何度かつねさんに誘われていたのだ。

その日、教室の先生に僕を紹介するとつねさんはやや興奮気味に俳句の話をしはじめた。


「俳句なんてね、あんまり熱中しすぎない方がいいんだ。」

「へぇ、そうなんですか。」

「なんだっけ、第三芸術論?あんな風にさ、俳句に目くじら立てる人なんかもいてさ。」

「へぇ、そうなんですか。」

「そういえば、こないだ、なかなか面白い句集を買ったんだよ。これ、トウザイサンキって言うんだけどさ。」

「へぇ、そうなんですか。」

「あれ?つねさん。これサイトウサンキ、じゃないですか?」

「あ、そうそうサイトウサンキ、ね。ははっ、ま、どっちでもいいよ、そんなこと。俳句はね、あまり深く考えちゃダメなんだ、ははっ。」


そうして僕は次の週からつねさんと一緒に俳句教室に通うことになったのだった。

7 件のコメント:

  1. 1967年に新潮社から小ぶりな日本詩人全集が出て、近所の同級生の親父さんがやっている本屋に買いに行ったら、包む時に、「シマザキ・フジムラね」というので「えっ、シマザキ・トウソンじゃないの?」と言うと「そうとも言うね」と答えたのを思い出しました。不安になって家に帰って本を開いたら、やっぱりシマザキ・トウソンだった。

    まだ恍惚としてこの親父さんは生きているけど、何だったんだろう、あの「そうとも言うね」は。

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  2. フジムラ、迂闊にも私もそう読んだことがあります。
    「そうとも言うね」の受け流し方はただ者じゃないですね。

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  3. 星野立子を「りっし」だと思っていた時期があります。

    いまだに石田郷子を「いしださとこ」と読んでしまうときがあります。

    このあいだは、ロジャー・ダルトリー(ザ・フー)の話なのに、ジョン・ダルトン(キンクスの2代目ベーシスト)と勘違いして、話を明後日に持っていきました。

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  4. 高柳ジュウシンとか坪内ネンテンとか俳人には音読にする人もいますね。
    以前お会いしたとき、荻原裕幸さんは田中裕明を田中ユウメイと言っていました。

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  5. >高柳ジュウシン・坪内ネンテン・田中ユウメイ

    たかやなぎ・しげのぶ、つぼうち・としのり、たなか・ひろあき、と本名は知っていても、わたくしも音読します。ジュウシン俳句、ネンテン俳句、ユウメイ俳句と言い切る方がふさわしい独自の世界を持っているから。鬼才とも言える俳人は音読が似合う。しげのぶ俳句、としのり俳句、ひろあき俳句だと、何だかねえ、天麩羅をてんふらと言うように気が抜けて。吉本隆明をよしもと・たかあきではなく、ヨシモト・リュウメイと呼ぶようなものか。

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  6. 誓子は本名の新比古(ちかひこ)をもじって「ちかいこ」と読むのが本来だった。それを昭和11年に京都で誓子が初めて虚子に会った時、虚子に「君がセイシ君でしたか」と虚子が誤解して言ったので、誓子は以後「せいし」と改めたという(『よみものホトトギス百年史』)。

    虚子が若き誓子を鬼才と認めた証しとわたくしにはこの音読が思えます。

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  7. 誓子の話は私も存じています。
    たしかに音読にするとずしっと重みが出るような感じがしますね。

    あ、ちなみにウチの師匠(中原道夫)はダメですわ。
    「中原どうふ」、なんかスーパーで売ってるパックの豆腐みたいで。

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