〔暮らしの歳時記〕
熱燗
山田露結
熱燗を飲むとつい「嗚呼」と言ってしまう。
お猪口を啜るたびに「嗚呼」と言うオレの真似をして2歳の次男がジュースを飲んでは「嗚呼」とやる。
これは溜息ではない。
溜息でなければいったい、熱燗を飲むときに出るこの「嗚呼」は何なのか。
酒が体に染みていく感じを人は無意識に「嗚呼」と表現してしまうのだろうか。
熱燗を飲むときには、この「嗚呼」も酒の味わいの要素のひとつとして、かなりの割合を占めているような気もする。
試しに熱燗を飲んだ後、「嗚呼」を我慢してみる。
すると「嗚呼」の代わりに鼻から息が抜ける。
何度か試してみたがやはり同じことである。
鼻から抜ける息を仮に「鼻嗚呼」と名づけてみる。
で、今度はその「鼻嗚呼」も我慢してみる。
ところがどうだろう、苦しくてたまらない。
やはり、何度やってもおなじことである。
その度に息を止めた状態になって、そのまま我慢し続けると窒息してしまいそうだ。
なるほど、熱燗を飲んだときに出る「嗚呼」は酒の旨さを体が表現しているのではなく、人体の仕組みとして飲み物を飲んだ後には必ず洩れてしまうものなのだろう。
さて、人は一生にいったい何度「嗚呼」を洩らすのだろう。
きっと今夜も日本中で数え切れないほどの「嗚呼」が洩れていることだろう。
熱燗のいつ身につきし手酌かな 久保田万太郎
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