2011年7月18日月曜日

●月曜日の一句 相子智恵


相子智恵








水面の雨粒まろし生身魂  山口昭男


句集『讀本』(2011年6月/ふらんす堂)より。

「生身魂(いきみたま)」は私にとって、俳句を作らなければ知らなかった言葉のひとつだ。

『図説 俳句大歳時記』(角川書店)には、お盆に目上の人に対して礼を行うという生身魂の一般的な解説があった後、「生者の霊(みたま)を意味する生身魂は、祖霊に対応する語であると同時に、祖霊そのものをも生身魂と呼んだ例がある」と出てきて驚いた。死者の霊も「生身魂」と呼んだ地域があるというのだ。生の延長線上に死があると同時に、死の延長線上に生がある。生死をつらぬく「たましい」というものの不思議さ。

さて、掲句。水面に落ちた雨粒が跳ねて、球形になる。いわゆる「ミルククラウン」というやつだ。水面をじっと見つめる作者の目には、スローモーションのように跳ねては消えてゆく水の玉が、ひたすらに繰り返されている。

一粒の雨に目を凝らせば、生まれてすぐに消えてしまう水玉に、生のはかなさと一瞬の生の輝きを見ることができる。と同時に、降り続く雨全体を見れば、絶え間なく繰り返される水玉からは永遠が思われてくる。

〈まろし〉と描写された丸い雨粒。その水玉の「たま」と、生身魂の「たま」は遠く響きあう。不思議な取り合わせである。


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