相子智恵
おくのおに・ないてゐるおに・しんだおに 村井康司
同人誌「鏡」(2011.7/創刊号)「津波見に行きて干潟を見て帰る」より。
「晩紅」休刊を経て、八田木枯氏らが同人誌「鏡」を発刊した。創刊号。
掲句、村井氏は作品に添えたエッセイで〈高柳重信が、三橋敏雄が、攝津幸彦が、塚本邦雄が、もし健在だったら、この厄災(筆者注:東日本大震災)をどう詠んだのだろうか〉と書く。
死者のことを「鬼」というが、この句にまずはそれを思った。
だが〈おくのおに〉とは何か。億人の「億」か、奥州の「奥」か、それとも記憶の「憶」なのだろうか。いずれにせよ重い〈おく〉だ。〈ないてゐるおに〉からは、私は幼い頃に読んだ『泣いた赤鬼』の童話を思い出した。そこからの連想で〈しんだおに〉は、幾多の昔話の中で退治されていった鬼たちを思い起こさせた。死者への鎮魂が、いつしか鬼の深い悲しみに転化してゆく。
『全訳古語辞典』(旺文社)には〈漢字の「鬼(き)」は死者の霊魂の意だが、日本の「おに」は、元来これとは別の観念である。「おに」は、「隠」の字音「おん」からの転で、本来は形をみせないものだったようだ〉とある。
童謡のように口誦性のあるこの句の、平仮名の「おに」は悲しい。「おに」という語を発するたびに、おんおんと深いところから湧く、見えないものたちの悲しみが、心に押し寄せる。
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