第26回
乞食バクチ
西原天気
昭和15年(1940年)8月31日早朝、三鬼は、治安維持法違反容疑で特高警察に検挙され、京都松原署に連行される。松原署での拘留は2か月以上に及び、この間のことは「俳愚伝」に書かれている。三鬼の筆致に悲壮感はなく飄々として、どのエピソードもおもしろい。例えば、監房に居合わせた人々との交流。
その房に、賭博で挙げられた連中が充満した。彼等は織屋、染色屋、会社員などで、他の房の連中にくらべると「エエ衆」であった。夜になると看守に預けた金で、菓子や果物を買って、房内にふるまった。勿論、その前に看守が買収されていた。監房といっても、どこかのんびりと享楽的な雰囲気。
彼等は、寝るまで外にいる私に(筆者註・三鬼は取り調べは担当警部補との散歩などもあった)、何かと土産を頼んだ。ある日、サイコロを頼まれたので、特高室に預けてある角砂糖を三つ四つ持って帰り、鉛筆で星を書いて与えたら、ワッと歓声が上り、たちまち監房は賭場と変じた。賭博で捕まった連中にサイコロを与えたら、そら、そうなりますわな、という。
その後、サイコロの角は丸くなり、手垢でまっ黒くなったが、最後に自転車泥棒の少年の胃に収まるまで、まことに貴重品であった。ずいぶん汚い話だが、これとそっくりのことが、その十数年後、所をかえて池袋駅前の喫茶店で繰り返されていたことを知って、ずいぶんと驚いた。角砂糖をサイコロにするところまはまったく同じ。違うのは、最後に食べるのが罰ゲームであるという点。
変っているのは勝負が終ると、負けたやつがサイコロを食ってしまわなければならないことだ。(…)何しろ文字通り手に汗にぎる熱戦だから各人各様の体臭におう掌の汗がたっぷりしみ通って、角砂糖の白がたちまちどす黄色くなる。/それにカウンターの埃やこぼしたコーヒー液が得体の知れないしみとなってこびりつき、おまけにころがしているうちに、角砂糖の角がとれてゆがんだ丸みを帯びるので、色といい形といい、何ともつかぬグロテスクなシロモノに仕上がっている。「乞食バクチ」のさなかにいた種村季弘の熱気を帯びた筆致と、道具を与えるだけ与えて横から見ていたと思しき三鬼のクールで軽妙な筆致と。この対照も興味深いが、博打好きが角砂糖を見て思いつくことは同じという、その情けないような微笑ましいような「真実」に、にんまりしてしまうのだ。
(種村季弘「ああ乞食バクチ」(『好物漫遊記』筑摩書房・1985年)
※承前のリンクは 貼りません。既存記事は記事下のラベル(タグ)「コモエスタ三鬼」 をクリックしてご覧くだ さい。
0 件のコメント:
コメントを投稿