相子智恵
うつしみの色さしきたり羽化の蝉 甲斐由起子
句集『雪華』(2012.7/ふらんす堂)より。
羽化したばかりの蝉は薄緑色の羽根を持ち、白く透き通るような体をしている。羽化が行われるのはたいてい夜だから、羽化したばかりの蝉はまるで、夏の夜の夢の妖精のような、この世のものとは思えない幻じみた存在に思える。
そんな羽化したばかりの蝉も、夜が明ける頃には徐々に乾いてゆき、茶色く蝉らしい色になってくる。作者はそれを、幻のような蝉に、徐々に〈うつしみ〉=「現し身(この世に生きている身)」の色が差してきたと表現した。羽化という特別な時間の本質をつかむ一語である。
ところで、蝉の抜け殻を表す「空蝉(うつせみ)」は当て字で、これも、もとは同じ「現し身」だ。辞書で調べたら、語源は古事記の「現人(うつしおみ=この世の人)」だという。命の抜けた蝉の抜け殻も、命ある蝉そのものも、両方同じ「この世に生きている身」というのは、なんだか不思議である。日本人の死生観に通じているのだろうか。〈うつしみ〉からは、そんなことも考えさせられた。
掲句をはじめ『雪華』という句集には、清浄な世界がある。〈行平鍋(ゆきひら)に粥すきとほる雪の声〉〈遅き日の遠くが見えてゐたりけり〉〈何にでも触れ初蝶のこぼれ来る〉〈夢醒めてなほ夢の世や西行忌〉など幽玄な叙情に、酷暑の日に読んだ私の心が、すーっと透明になっていくようだった。清水のような句集である。
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