相子智恵
菌汁夜の近づくにほひなる 津川絵理子
句集『はじまりの樹』(2012.8 ふらんす堂)より。
たとえば松茸と椎茸とでは香りはまったく違うけれど、どちらも太陽をたっぷりと浴びた果実のような、日向の明るい匂いはしない。
菌には湿った木や土のような、しめやかな日陰の匂いがする。掲句の菌は、菌汁にする菌だから、なめこやしめじ、いくちなどだろう。煮ればモワッと、香りの湿度も増してくる。
作者は、菌汁には〈夜の近づくにほひ〉がするという。
釣瓶落としの秋の日、ひたひたと夜の気配が足下から来る。そんな秋の夕暮れの、湿った土の匂い。これから先の冬至までは、もう夜が長くなるばかりなのだという、もの悲しい気分の帰り道。玄関の戸を開けると晩ご飯の菌汁の匂いがして、ああ、ここにも〈夜の近づくにほひ〉がする、と思うのだ。
菌汁の匂いという何気ないものから、読者の全身は秋の夜長のとば口に引き込まれる。菌汁に対して〈夜の近づくにほひ〉とは、言葉としては意外な着想であるはずなのに、上記のような想像の物語が湧いてくるほどに説得力がある。
句集『はじまりの樹』には掲句のように、一見もの静かな一風景の描写でありながら、不意に「季節の運行」という大きな流れの只中に全身がすっぽりと包まれてしまうような感覚の句がいくつもある。それが端正な写生句にとどまらない奥行きとなっていて、心に残るのである。
〈夜通しの嵐のあとの子規忌かな〉〈聖樹より森はじまつてゐるらしき〉〈ものおとへいつせいに向く袋角〉
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