相子智恵
冬銀河散らかつてゐる俺の骨 喜多昭夫
句集『花谺』(2012.11 私家版)より。
大気が澄み、凍てた冬空。満天の星の光は鋭く白くきらめく。そんな冬の銀河を見上げながら、星々の中に(あるいは自分の体の中を夢想して)散らかった自分の白い骨を見出している。
掲句の次ページには〈寒卵みたいな俺の涙かな〉という句もあって、両方読むと、真っ白で硬質、ドライな〈俺〉の身体感覚が立ち上ってくる。その突き放した身体性は諧謔味を生み出し、過剰な自己意識はかすかな笑いに変えられて、読者の心に不思議と爽快感を残す。
掲句は〈散らかつてゐる〉であって、「散らばって」ではない。この一語の違いはとても大きい。自然な状態で散らばっているのではなく、マイナスの意味の強い「散らかる」の突き放し方で、自嘲的に世界からの異物感を強めた。自意識を注意深く突き放して笑いに変換しながら、それでも青春性ともいうべき「伝えたがりの自己」は滲みだす。
俳句という文芸のもつ、そんな自律した大人の形式と、そこからはみ出さんする青年的な熱情のあわいが、私は好きだ。
●
0 件のコメント:
コメントを投稿