相子智恵
れんげ田を夢みるために薄き夜具 城取信平
句集『めでためでた』(2013.3 文學の森)より。
田打がされるまでの一面の〈れんげ田〉。蓮華草はかつて「緑肥」として、刈り取りの終わった稲田で広く栽培されていたというが、現在は化学肥料を使うのであまり見ないだろう。それでも私が幼い頃、一面の蓮華草や白詰草の野で遊んだ記憶があるのは、あれは休耕田のものだったのだろうか。
寝転んだり花の冠を作ったりといった、子どもの頃の遊び場であった一面のれんげ田。その懐かしい風景を夢に見たいと思って〈薄き夜具〉を使うという展開に驚く。
しかし言われてみれば、れんげ田のふかふかとした寝転びたくなるような質感は、ふわっとした薄い夜具の質感とどこか似通っている。夢の中のれんげ田とはいえ、そこはやはり春の句。冬の重い夜具から、少し薄くて軽い春の夜具に切り替える頃であるということも想像されて、〈薄き夜具〉は、発想に驚きはありつつも自然に結びついている。きっと懐かしい夢が見られたことだろう。
●
0 件のコメント:
コメントを投稿