関悦史
自動ドア藤の孤独が招かれる 高岡修
人の姿は消し去られ、自動ドアと藤との交感のみが描かれる。
藤を「孤独」と見ている語り手が作中にいるとしても、この「孤独」は語り手の情念を負わされたものではない。むしろドアが開いた刹那、藤の方が不意にひとつの実存として語り手の目に飛び込んできたようで、心情的な同調は軽い驚きと清潔感を越えた先に初めてあらわれるのである。
無機物と植物との出会いが織り成す異界は、スタッコ(白い化粧漆喰)で仕上げられた見慣れないモダニズム建築のような美感を湛えている。
都市生活の中に潜む、深い静かな領域を掬いとった句で、田久保英夫の短篇を連想させられた。そういえば、その代表作ともいえる連作集『海図』も、無人称で語り進められる佳品だった。
句集『果てるまで』(2012.12 ジャプラン)所収。
●
0 件のコメント:
コメントを投稿