関悦史
大きな葉ゆらし雨乞い蝸牛 小林 凜
作者は小学生。どういう状況の人かは長い書名が全て語っていて、そちらについては、詳述した記事が既にネット上に幾つもあるので省く。
《法事済み一人足りなき月見かな》のような結社誌に載っていても違和感がない句もあるのだが、小学校高学年の年頃の句ということで鮮度の高いこちらを採った。いわば時分の花である。
やや三段切れっぽい舌足らずな感じ、擬人法的な見立てなど、危ういところを幾つも抱えていながら、全体としては大きな葉にとまって揺れる蝸牛が、妙に愉しげな湧出感をかもしだしていて、それが梅雨どきの湿っぽい世界にヴァイブレーションを与え、賦活していく。
ホイジンガ『ホモ・ルーデンス』のいう如く、遊びこそが文化なのであってみれば、この蝸牛の無心の遊びにも似た雨乞いのさまが知性と見えるのも当然の話で、そうしてリフレッシュされた世界に作者も読者も無理なく誘い込まれていく。一種の妙境というべきであろう。
小林凜『ランドセル俳人の五・七・五 いじめられ行きたし行けぬ春の雨 11歳、不登校の少年。生きる希望は俳句を詠むこと。』(2013.4 ブックマン社)所収。
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