関悦史
海峡へ秋草の丈いたづらに 澤 好摩
海峡という地形と伸びた秋草があるだけなのに、この複雑に沈潜した情感の重なりあいはどうであろうか。無論「いたづらに」という主観に押されてのことではある。
憧れ、断念、さらには生死の境界のような怪しさをもはらんで波立ち騒ぐ海峡へ向かい、伸びはしたものの、対岸へ渡れるはずもなく秋を迎えた草たち。
「海峡や」であればどうということもなく海景を前に安らっていればよかった草たちは、「へ」の一字によって突如海の向こうへの志向を呼び覚まされ、しかし諦念など帯びてはいない。草らしい無念無想のうちに健やかに伸びきり、しなだれるだけだ。
「へ」の志向性を呼び込んでしまったのは草たち自身ではない。
境界へ向けて無益に伸びた秋草の見事さは視界を縦に押し広げ、一方海峡は視界を横に広がらせる。こうして得られた丈高く立体的な空間のうちに、断念とも、無念とも、あるいは無智ゆえの明るみともつかない、ただ情感としか呼びようのないものが満ち、清らかに蠕動する。
この生の無益と淋しさをそのまま四大が担ってくれたかのような奇妙に安らかな情感の主体は、作者でもなければ秋草でもない。強いていえば、海峡のような心と物の狭間と化した句そのものであろう。
句集『光源』(2013.7 書肆麒麟)所収。
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