関悦史
ががんぼのごとき人こそ友とせむ 遠藤若狭男
『徒然草』には「良き友」として、物くるる友、医師、知恵ある友の三つが上がっているが、これらは全て実利に直結した「友」である。
「ががんぼのごとき人」となるとおよそ何の利用価値もなさそうだが、その代わり利用しあう互酬的な関係からくる気詰まりさ(お返しも何もしないわけにもいかないであろうし)や、一方的に利用するさもしさとも無縁でいられる。
蚊のように血を吸われもしなければ、追い払う必要もない。またペットになるような禽獣とも違って、餌による支配被支配関係もない。
ときどきその辺にともにいるというだけであり、見るからにひ弱で、そこはかとなく愛嬌もある。
といったようなことを、ががんぼを眺めながら考えていたのであろうなと思わせる。
友というのは基本的には対等な関係だろう。つまりは自分もががんぼと大差ないのだ。
一種の仙境といえるような、しかしそう呼ぶには卑俗なような境地である。
ががんぼというのは、どこかしら知性がないわけではないような気もするし、同情心や感受性もありそうといえばありそうな気もする。
句に引っかかっていろいろ考えているうちに、次第にががんぼが何となく魅力的な相手に思えてくる。
句集『旅鞄』(2013.8 角川書店)所収。
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