2013年8月28日水曜日

●水曜日の一句〔遠藤若狭男〕関悦史



関悦史








ががんぼのごとき人こそ友とせむ  遠藤若狭男

『徒然草』には「良き友」として、物くるる友、医師、知恵ある友の三つが上がっているが、これらは全て実利に直結した「友」である。

「ががんぼのごとき人」となるとおよそ何の利用価値もなさそうだが、その代わり利用しあう互酬的な関係からくる気詰まりさ(お返しも何もしないわけにもいかないであろうし)や、一方的に利用するさもしさとも無縁でいられる。

蚊のように血を吸われもしなければ、追い払う必要もない。またペットになるような禽獣とも違って、餌による支配被支配関係もない。

ときどきその辺にともにいるというだけであり、見るからにひ弱で、そこはかとなく愛嬌もある。

といったようなことを、ががんぼを眺めながら考えていたのであろうなと思わせる。

友というのは基本的には対等な関係だろう。つまりは自分もががんぼと大差ないのだ。
 一種の仙境といえるような、しかしそう呼ぶには卑俗なような境地である。

ががんぼというのは、どこかしら知性がないわけではないような気もするし、同情心や感受性もありそうといえばありそうな気もする。

句に引っかかっていろいろ考えているうちに、次第にががんぼが何となく魅力的な相手に思えてくる。


句集『旅鞄』(2013.8 角川書店)所収。

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