関悦史
葉ざくらや一人にひとつ頭蓋骨 桑原三郎
一人にひとつしか命はない、だから大切という種類の文言はあちこちで目にするし、頭蓋骨もひとつしかないものには違いないのだが、命や個の大切さを訴える文言の正しい退屈さとはいささかずれた、奇妙な感覚がこの句にはある。
骨相を見分ける専門家でもない限り、骨になってしまえば個人個人の識別などできず、固有性よりはむしろ、死んでしまえばみな同じという同一性が際立ち、X線写真か標本でも見せられたような不気味さが強まるのである。
そういう、命の大切さを訴える紋切型表現がそっくり「死の舞踏」の図柄へと反転してしまうところが奇妙で可笑しい。「頼朝公三歳の砌のしゃれこうべ」のような、バラバラにでき、交換できるダダ的人体のナンセンス風味も漂う。
とはいえ命も頭蓋骨も「一人にひとつ」には違いなく、その生命感を「葉ざくら」が照らし出すのである。
頭蓋骨などない葉ざくらの方が、面倒がなくて羨ましいような気もしてくる。
句集『夜夜』(2013.12 現代俳句協会)所収。
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