関悦史
打ち払ふ金蠅ときに海のいろ 柳生正名
言語芸術ならではのフィクション性というべきか、金蠅とありきたりの色名ではない「海のいろ」への飛躍との間に広がる距離が、ゆたかな何ものかを蔵している。
この句は穢くもけばけばしく光る金蠅の色つやを、単に美化して見せているわけではない。
海がたまたま金蠅の姿をとって身辺に不意に寄ってきたような、あるいは、生命が太古の海から発生したことを思えば、その進化の果てに金蠅と人に分かれたことの不可思議さを、金蠅自身は意識することもなく訴えかけてきているような、空間的なだけでも時間的なだけでもない隔たりと、その隔たりあればこその、ことさらの感情移入でも共感でもない、ドライな親密さとでもいうべきものを伴って、「海のいろ」は手の先に閃いているのである。
オクタビオ・パスに「波と暮らして」という、海の波が押し掛け女房のようにやってくる異類婚姻譚があるが、この句の「海のいろ」にはそうした人格性もなければ、描き方も寓意的ではなく、むしろ象徴的である。
「打ち払う」の素朴な肉感から発して瞬時に象徴性の高みへ駆け抜け、間然するところがない点、俳句という形式の特長を十全に生かした句といえる。
句集『風媒』(2014.4 ウエップ)所収。
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