樋口由紀子
あまり静かなので骨壺を揺する
菊地俊太郎 (きくち・しゅんたろう)
いくら静かでも骨壺は揺すらない。そんな気分のときは骨壺は視野に入れたくないものであり、というか、それよりも骨壺は揺するものではない。その一般的な発想をひっくりかえす。どきっとするほどの意外性があり、同時にぞくっとするほどのリアリティーがある。ありえることなのだ。それは「骨壺」の実在感のためであろう。骨壺になってしまった現実と、そこまでの時間軸を思う。死に向き合っている。屈折した表現に迫力がある。
菊地俊太郎とは何回か句会で会ったことがある。そのたびに発想の自由さと言葉の新鮮さに驚いた。彼の川柳には確かな手応えがあった。私の最も印象に残っている川柳人の一人である。寡黙な人だった。彼についての資料はほとんどない。
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