2014年8月27日水曜日

●水曜日の一句〔仁平勝〕関悦史



関悦史








夏物をしまふと秋のさびしさが   仁平 勝

一見大した内容もなさそうに見え、実際に大した内容は詠まれてのだが、初学者にはまず出来ない、力の抜き方のうまさが際立っている句である。

ここに詠まれた感慨は当たり前といえば当たり前のことであり、誰でも感じたことはあるのだろうが、それがこういうすんなりした句に成るについては、志向性と技術力による、ほとんど嫌らしいほどの微調整が要る。

まず因果関係で展開している句(駄目な句とされる典型的なパターン)のように見えながら、「しまへば」ではなく「しまふと」と理詰めの野暮ったい窮屈さをあっさりいなしており、さらに「さびしい」と何の含みもなく心情をじかに説明してしまっているように見えながら、「さびしさが」と無生物たる「さびしさ」の方を主語に据え、句の前半まではたしかに「夏物をしまふ」能動的な立場を占めていたはず作中主体を瞬時に「さびしさ」に襲われる儚くも不定形の存在へと変換してしまうことで、一句は心情吐露の重ったるさから、これもあっさり身をかわしているのである。

そして「夏物をしまふ」ような地に足の着いた丁寧な暮らしぶりゆえに、不意に「秋のさびしさ」にその身を占められてしまうこの作中主体は、「夏物」の重量を手放してほとんど虚空そのものと化しながら、そのことに限りない満足を抱いているようにも見える。

観念的な言葉遣いとも宗教的道具立てともおよそ無縁にそうした事情を描き出し、危険なものかもしれない空虚さを手近な玩具のように慈しんでしまうさまが、この句の魅力の淵源であり、また何やら落ち着かない気分にさせる当のものでもある。


現代俳句文庫75『仁平勝句集』(2014.6 ふらんす堂)所収。

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