樋口由紀子
毬をつくまだわからぬかわからぬか
松岡瑞枝 (まつおか・みずえ) 1955~
毬を打つ音が聞こえきそうである。手の勢いはますます強くなり、てのひらが真っ赤になっていくのを想像する。「まだわからぬかわからぬか」は自分に怒り、自分に言いきかせている。しかし、現実はどうすることもできない。
何をもってきても、不安やいらだちは解消できない。気を紛らせることも現実逃避もできない。じっとしておれなくて、他のものを傷つけ、しいては自分を傷つける。いくら毬を打っても、現状は変わるわけではない。そのことは作者が一番よく知っている。毬はあきらめきれない、作者の心であり、痛々しい。独特の感情表現である。
〈逢いたさにしゅんしゅん沸いているやかん〉〈許されたように色差す桃の疵〉〈仕事ですからとおもちゃになるお猿〉〈抜き取っておく折紙の金と銀〉 『光の缶詰』(2001年刊 編集工房・円)所収。
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読んだ瞬間、まず浮かんだのが、子供を打擲する姿、児童虐待の様でした。もちろん、句そのものは、解説のように大人の心理世界の描写なので、そのような無惨な世界とは異なるものではありますが、虐待の方向に連想が飛ぶような、そんな陰惨な世相の中を生きているということをふと思ってしまいました。
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