関悦史
半月や未来のやうにスニーカー 佐藤文香
活動的なデザインのスニーカーに対する「未来のやうに」の直喩が意外であざやか。
ここにはスニーカーを身に着けること、及び身に着けた自分が見るであろう世界への期待感もあるといえばあるが、関心はさしあたり「半月」と照応する物品としてのスニーカーに集中しており、無機物であるスニーカーから性的といってもいいような官能性が引き出されている。
これは広告写真に近い提示の仕方であり、「未来のやうに」の発想の飛び方も、コピーライティングに近いところがあるのかもしれない。
いずれにせよ周囲の自然や事物を穏やかに、あるいは厳しく、あるいは自分を稀薄化して受容・観察するタイプの写生句ではない。作者の物品に対する反射的感応が、物品そのものに潜んでいた「未来」性を弾き出しているような句である。そしてその勢いが、退嬰的なフェティシズムから遠く離れた時空に「スニーカー」自体をも飛ばすことになるのである。
「半月」にも必然性がある。有季定型句として見れば季節は秋であり、「スニーカー」に即した冷やかさの感覚が生まれる(「春月」であったらモチーフが揃いすぎてしまって句にならない)。そして、にもかかわらず「満月」や「三日月」と違って動きを呼び込むのである。欠けた半分を埋めるのは「未来」であり「スニーカー」を履く語り手自身である。「半月」に照らされた「スニーカー」の無機的な艶やかさが、語り手当人にも及ぶ。
『君に目があり見開かれ』(2014.11 港の人)所収。
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