関悦史
あれは秋骨の形を崩しけり 秦 夕美
納骨のときは、概ね寝姿のまま焼きあがった遺骨を箸で崩しながら骨壺に収める。
「骨のかたちを崩しけり」はその所作を詠んでいるとも取れる。「骨を」ではなく「形を」になっているところに俳句的なかすかな飛躍があるが。
より大きな飛躍は「あれは秋」という出だしにある。「あれは秋のことだった」と過去を回想していると取るのが普通なのだろう。しかし不可視のはずの「秋」を「あれは」と指さし、いきなり「秋」を実体化させているかのような錯覚も割り込んでくるのである。
「けり」が直接体験ではなく、伝聞などの間接体験に用いられる助動詞だからということもある。直接体験の「き」であれば、動作主体は語り手当人ときれいに重なるのだが微妙なずれがあり、誰が崩しているのかわからなくなってくるのだ。
「骨の形を崩し」ているのは私なのか「秋」なのか、崩されている「骨の形」は人のものなのか「秋」のものなのか。人と「秋」とが見分けがつけ難くなる境地であり、妖気と爽快さが共存する。
この「骨の形」はカサリと崩れるのか、クニャリと崩れるのか。
句集『五情』(2015.2 ふらんす堂)所収。
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