空港で、休日の匂いを。
小津夜景
空港で出発を待つあいだ、なんにも
することがないものだから、鞄の中
から数十枚ものコピー用紙を引っぱ
り出して、くんくん嗅いでいた。
コピー用紙には小説が印刷されてい
て、どれも休日の匂いがする。この
人の書く小説は、働いている描写に
さえ休日の匂いがして、上昇志向が
ぜんぜんなくて、お洒落だ。
休日の匂いのする小説を書くこの人
に直接会ったことがある。女の人が
かわいくて、男の人がのんびりして、
品の良い描写が好きですと言ってみ
たら、その人は「いえ、実は18禁
がどうのこうのという描写もありま
す。すみません」と申し訳なさそう
にして可笑しかった。
それから、この人が夏目漱石が好き
というので漱石の話をした。夏目漱
石って女性を書くのが上手いですよ
ね。『草枕』のナミさんとか。『三
四郎』のミネコも不思議。でも、な
んといっても一番素敵なのは『猫』
のミケコだと思います。背中の流線
加減。物憂げにちょい、ちょい、と
動く耳。春日の中、品良く控えつつ
満身の毛を風なきにむらむらと微動
させているさま。こういうのを読む
と、漱石って自分の書く女性に恋し
ながら書いてるんだろうなあって気
がするんです。
私がそういうと、この人はうんうん
と深く頷いて、実はうちにもミケコ
くらい美しい猫がいるんです、とス
マホをちゃかちゃかいじりだした。
しばらく横から覗いていると、スマ
ホ画面にぱっと整った顔立ちの、た
いそう清涼感のある猫が現れた。
あらら。
目が凄い。美猫だ。小説の感じから、
この人は生き生きしたキュートな女
の子が好きなのかなと思っていたが、
本当は美女好みだったのか。
いや違う。たぶん休日好みなのだ。
だって休日というのはどこかキュー
トで、人をうきうきさせて、かつ絶
世的美貌の高貴な香りもする。
飛行機がもうすぐ出るらしい。私は
コピー用紙を鞄にしまった。
囀やサンデーごとに寄る本屋
ネーブルの響きを包み新聞紙
モレスキン手帖に挟む菫かな
読み終へて眠ればかしこ花曇
春の戸にもの問ふ鳥の時刻表
残花よりましろき紙は葬りけり
乗る雲をうらうら選ぶ喪の川辺
春の手はのつぺらばうのやうでした
たれかその浮き橋わたる春の暮
豆の花ひとつの空を描きはじむ
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