相子智恵
ぎゆうぎゆうに整列したり遠足子 小野あらた
『ガニメデ』63号 「お気に入り」(2014.4 銅林社)より
思い起こせば遠足の始まりも終わりも、整列をしたものだった。校庭や園庭に整列をして先生の話を聞くことから遠足は始まり、解散する時もまたそうして終わったものである。それだけではない。目的地に着いた時も、休憩から出発するときも、何かと言えば整列した。
〈遠足子〉だから、園児か小学生でも1年生くらいだろう。小さな子どもたちがリュックサックを背負ってワクワクしながら整列している。子どもたちの整列は、体が小さいからか、たしかに間隔がぎゅうぎゅう詰めに見える。〈整列〉というと「静」のイメージだが、〈ぎゆうぎゆう〉という措辞によって、この句からは犇めき合うエネルギーを感じ、静よりも「動」を感じる。そのギャップが面白い。そして何より〈遠足子〉がいきいきと眼前に見えてくるところが楽しいのである。
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