2015年5月13日水曜日

●水曜日の一句〔夏木久〕関悦史



関悦史








ゆつくりと彼女枯野を脱ぎ始む  夏木 久


レメディオス・バロの絵を思わせる句。

ここでは「枯野」は衣服として着脱可能なものに変化している。そして「枯野」だけが不意に変容を遂げたわけではなく、それによって、世界の構成原理も変わり、普通のこの世を、より高次元から捉え直すとこのようにも見えるのだろうと思えてくる。

超現実的な内容がただの思いつきに落ちるのを防いでいるのが、何が起こるのか定かでないままに事態のゆるやかな速度に同調させてしまう「ゆつくりと」という出だしと、それに続くカ音の頭韻だろう。言葉の流れをたどるうちに、読者はありえない風景をなめらかに呑み込まされてしまうのだ。

「枯野」を脱げる女性ならば「春野」や「花野」も着ることができるであろうが、この句はそのように平板な地面を大地母神として捉えているわけではない。それでは単に想像力が神話的構造へと回収されているだけのことになる。

どうということもない、ただゆるやかに動く人体として提示されたはずの「彼女」が、突然「枯野」を身にまとえる何かとして捉え直され、裸身となる。その飛躍の一瞬を味わうべき句なのである。

眼の前で脱がれているにも関わらず、それによって語り手との関係が性的なものに変わってしまったり、語り手の内部に激しい衝撃を引き起こしたりしていそうにないという点では、極めてスタティックであり、そこが絵画や映像を連想させるのだが、しかし目撃者の位置に引き据えられてしまった語り手の中にも静かな歓喜とでもいったものが、確かにゆらめき立っている。


句集『神器に薔薇を』(2015.6 私家版)所収。

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