樋口由紀子
佛野に飯を乞われて跳び退く父よ
伊藤律 (いとう・りつ) 1930~
このように父を詠んだ川柳はめずらしい。「佛野」とは仏のいるところ、冥土、死者の霊魂が迷い逝く道、また行きついた暗黒の世界であろうか。そこでも現世のように「飯を乞う」ことが行われている。しかし、父をよく知る娘は、まだ、冥土に慣れていない父はおろおろして、「跳び退く」という。不思議な句である。律は青森出身であるから、恐山と重ねているのかもしれない。父を想っての心象風景だろう。彼女自身が揺さぶられている。「父よ」が切ない。
『風の堂橋』は亡父に捧げる、父への鎮魂歌として上梓された。あとがきで「この句集刊行は、父への想いを作品化した、父を祀る斉儀であり、報恩の行である」と書く。〈箸持って骨の貧しき父なりし〉〈八月の父を侍らせ白日の下〉〈うしろ手に大河を閉めて「父要らむかね」〉。一般的な父の概念から隔たり、解釈のつけられない父娘関係である。『風の堂橋』(1991年刊)
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