2015年6月29日月曜日

●月曜日の一句〔笠井亞子〕相子智恵



相子智恵






脳内の庭師がメダカ飼い始む  笠井亞子

「脳内目高」(「はがきハイク」12号、2015.6)より

ちょっと昔に「マン盆栽」というのが流行った。盆栽に鉄道模型用のフィギュア(人形)などを置いて、盆栽の世界に人を登場させて一つの世界とするものだ。ジオラマや箱庭に近い遊びだろうか。

盆栽は樹木を自然状態に似せて小さく育てて成形し、部屋の中で鑑賞できるようにしたものであり、盆栽だけなら世界の主体はこちら側(鑑賞者のいる現実)にあるのだが、そこに人(人形)を登場させることで、一気に世界はパラレルワールドめいた入れ子状態になる。見ている私の世界と、小人の世界が並行して動き始めるのである。

掲句、脳内の映像は変幻自在であるが、〈脳内の庭師〉だけなら、ふつうは等身大の庭師を想像する。どこかの大きな屋敷の庭を任される庭師だ。そこにいきなり広大な庭と縮尺のかなり異なる〈メダカ飼い始む〉がすとんと現れることで、この脳内の庭師が一気に小人めく。メダカは庭師が造園した池に放たれる錦鯉の代わりであるかのように思え、ジオラマのようなキッチュな庭の風景が浮かび上がるのである。

俳句は読者の脳内(=想像力)で実景に変換されるので、〈脳内の〉は一見余分なメタ的言及に思えるが、この〈脳内〉の一語が庭師の縮尺を自在に小さくする役割を持っていて、不思議への回路の鍵となっている。

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