2015年7月1日水曜日
●水曜日の一句〔藤井あかり〕関悦史
関悦史
稜線の一樹一樹や稲光 藤井あかり
一瞬の閃光に照らされて、山の稜線に生えた木々がひとつひとつ克明に浮き上がる。
しかし句には「照らされて」や「浮き上がる」などという言葉は入っていない。「一樹一樹」と「稲光」の組み合わせがおのずとそういうシーンを思い浮かばせるというだけであり、説明的な要素は削られている。
動詞や形容詞もなく、季語が入り、五七五定型きっちりの音数で、切れ字の「や」まで入る。
文体的には有季定型・客観写生の見本のような、ゆるみのない楷書体の句だが、静かで劇的な瞬間を拾ったためか、狭苦しさはない(季語としての「稲妻・稲光」は秋であり、夏の「雷」と違って音は伴わない)。
位置関係としては、稜線に並んだ樹木たちに見下ろされている形となる。相手は多勢であり、上を取られているのだ。映画の合戦シーンで、同じように敵陣の旗指物がずらりと並んだら、これは命の危機である。
しかもおそらく、この句の場合は稲光によって、稜線の木々が闇の奥から不意に現れたのである。軽い戦慄と畏怖の感情が呼び起こさたとしても不思議ではない。
木々もまぎれもなく生き物(それも巨大な)であり、あえて季語に引きつけて読んでしまえば、稲を実らせると信じられた「稲光」をも含めた、自然界の大きな連関のなかにあって聳えたっている。
その崇高さは、決して語り手を圧倒し、屈服させるものとしては描かれていないが、静かな句であるだけに、かえって潜在するものの力を窺わせはする。
句を読んだあとに残るのは、一瞬の木々の姿よりも、むしろその前後に果てしなく延長される秋の闇の大きさなのではないか。
句集『封緘』(2015.6 文學の森)所収。
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