相子智恵
たれのか知らぬ失せものを手に鬼灯市 小川楓子
「舞」創刊5周年記念号 舞賞受賞作品(2015.6.7月合併号 舞俳句会)より
不思議な味わいの句である。鬼灯市の人ごみの中で拾った、誰の物だか知らない落し物を手に、交番かどこかへ届けようとしているのだろうか。拾った作中主体の視点としては、このようなとき「落し物」という言葉がまず浮かぶのであるが、その言葉を使わず、無くした人の視点で〈失せもの〉という言葉を使っている。そこに、だれかの喪失感をそのまま受け止めたような、寄る辺ない、切ない味わいが生まれているのである。
だれかが無くした何か(誰かもわからないうえに、失せものが何であるかも明示されていないところも不思議さを誘う)を手に、まるで自分自身が失せものになってしまったかのように、頼りなく鬼灯市をさまよう。鬼灯という、昔の子どもの遊び道具でもあり、お盆の飾りにも使われる植物が、過去の人や精霊への回路として「何かを失った誰か」につながっている。この手は本当は、何も手にしていないのかもしれない、自分すらも失われたものかもしれない。この鬼灯市の風景自体が幽霊のように消えてしまいそうでもある。
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