2015年11月14日土曜日

【みみず・ぶっくす 46】 シンシア 小津夜景

【みみず・ぶっくす 46】 
シンシア

小津夜景



 秋といえば、幼年時代こんな遊びが家で流行った。わたしが本を取り、たまたま開いたページを読み上げる。それを母がリコーダーで音にする。これを繰り返すのである。
 当時わたしは漢字がまるで読めなかったが、いつも大人の本ばかり選んでいたと思う。ルビを頼りに文字を辿ると、母がすぐさまリコーダーを吹く。その音を聴いてわたしは、自分の手にしている本の内容を理解した気になるのだった。
 ある嵐の夜、わたしは中国の詩を読んだ。母はそれを順に吹き流した。雲を巻きつけた山。人影を欠く木霊。風にめくれあがる鳥。散らばる花と音のない土。すばやい翻訳。とてもふしぎな。次はと母がたずねる。わたしは本をひらく。だが早く音が聴きたいあまりうまく文字が追えない。
 わたしは母の腕に、ぎゅう、と本を押しつけた。母はピアノの譜面台にその本をのせると、脇にあるランプを灯して連なる文字を照らした。そして着想を掘り起こすようにじっと天井を仰いだのち、おもむろな息づかいで、降る花の中、水の上をすべるひそかな人影を描いてみせた。
 わたしは母の魔法にすっかり心を奪われてしまっていた。嵐の勢いが弱まったのか、さっきまで電流の安定を崩していた室内がにわかに明るく輝き出した。ランプの熱で空気も循環しだし、天井にぶらさがるモビールが頭上でむずむず蠢いたのがわかった。思わず見上げると、モビールはああもう我慢できない、といった調子でゆらりと大きく一回転した。
 わたしたちは顔を見合わせて同時に笑いだした。

シンシアと書き出づるなり漆の実
在ることの膜をまぶかに紅葉す
銀幕寺いくたび尋ぬななかまど
手にトンボ鉛筆のある秋思かな
秋はさて野暮は夕のひとめぼれ
銀杏やパントマイムで酌み交す
ぬくき桃大事に僕の伯父さんが
死にがほによくある雁の使かな
夜着に入る虫も夜伽のなきどころ
露実るメガロポリスや刃を入れて

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